教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 145回 理科の学習(2) 「月と星」 情緒的な始まりから

小学校の理科の学習で、月や太陽、そして星を学びます。
天文関係の学習は、大きな空間を必要とするので、イメージをとらえる上で難しいものがあります。


4年生の理科学習に「月と星」という単元があります。
「月や星を観察し、月の位置と星の明るさや色及び位置を調べ、月や星の特徴や動きについての考えをもつことができる」(学習指導要領)


理科の学習、特に、天文関係の学習はロマンです。
「お月見」という行事があります。
昔は、月を見ながらお団子を供えて食べたものです。
人間が誕生してからずうっと、月は人間のくらしの中にありました。
古代から月を含む自然を神秘的なものとして考えてきました。
満月の夜に祭りや行事が行われてきました。


人間にとって月はどのような存在であったのでしょうか。
人間のくらしと月のつながりを考えることによって、科学の対象としての月を理解する前に、情緒的な月としてとらえる事も必要であると考えます。


科学はその対象から感情を削除して発展してきましたが、その発端は、常に、自然に対する畏敬の念でありロマンがあったと思います。


天文学習を実施するとき、月や星をもっと人間のくらしに引き寄せて考えることが大切です。


月は癒しの対象であったはずです。
祈りの対象であったはずです。
占いの対象であったはずです。
そして、夜を照らす明かりとしての役割を担っていたはずです。


子どもたちが月を情緒的にとらえることを学習の出発にします。
そして、ことわざや行事から月を見直していきます。
「花鳥風月」の中に月が入っていることの意味。
「月夜にちょうちん」明るい月を象徴しています。
「月見」の行事。
ススキを稲穂に見立てて、子孫繁栄の象徴としての団子を備える風習。


さらに昔の人々にとって、月は人間の命を宿すものでした。
反対に、西洋人は月を忌み嫌っていたそうです、狼男。


人間は月にいろいろな名前をつけて親しんでいました。
十五夜、おぼろ月 夕月 三日月など
十五夜は、秋の美しい月を鑑賞しながら、秋の収穫に感謝する行事です。中国から伝わり平安貴族が月見の宴を催し風雅を楽しんでいたようです。やがて庶民に広がりました。


日本人は、自然と一体になって、生きている喜びを味わってきました。


子どもたちには、昔から人々は、月や星をどのように眺め感じてきたのかを想像させたいです。
その上で、科学としての月と星を学習させます。
科学はロマンから出発しています。


星の学習についてもおなじです。
太陽は神として、月は祈りの対象としてきた人類。
それでは、星はどのような関わりをしてきたのでしょうか。
○月○日の「月」「日」意味を考えさせることもおもしろいですね。
人間が、自分たちの生活を守るために、太陽、月、星を利用してきました。
自然崇拝と自然支配の両面があります。


理科の学習は、自然を対象とし学びますが、それ以前に、私たちが自然の中にとけ込んでいることに気づかせたいですね。

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