教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 144回 理科の学習(1)  結論から実験へ

理科の学習が一般的に低迷しています。
理科の教材研究がしっかりと行われていません。
その理由は、実験は確かめるためのものになっているからです。
結論を得るための実験になっています。
結論どおりの実験結果がでないと「本当は、違うのだよ」と先生は弁解します。
そうすることで、実験が真実を示すという目的が揺らいできます。


前もって、予備実験をすることは面倒なことです。
大切だとわかっていても放課後の時間をさいて、理科室にこもって実験をすることは大変です。
私のように理科が好きで若いときには理科教師をめざした時期もあった者でも、つい、めんどうだなと思うことがありました。


どんなに理科の討論で対立しても、その決着は実験です。
理論は実験の前にひざまずきます。
そのような実験観を子どもたちに育てたいものです。
仮説を実証する姿勢を育てます。


さて、理科を結論から始める学習があってもいいのではと考えています。


今日から「水のすがた」(水の三態変化)の勉強をします。
そのように伝えます。
次に、単元の最後にある結論を読み上げて板書します。


わかったこと
熱したり冷やしたりすると、水はすがたを変える。
水を冷やし続けると0℃でこおる。
水は熱し続けると、100℃でふっとうする。
水を熱したときに出てくるあわは、水が変化したものである。


「わかったことをノートに書きなさい。一つ書いたら3行あけて書きなさい。」
子どもたちが全員ノートに書いたら、
「わかったことがわかりましたね。これで理科の学習を終わります。」と先生が言います。
すると、子どもたちは
「えっ、おわっていないですよ」「まだ、実験をしていないです」
先生
「どうして実験をするのかな。実験しなくても結果がわかったじゃないですか。」
子どもたちは困った顔をします。
すると、子どもたちの中から
「これでわかったとはいえません。わからないことがあります」
先生
「そうなんだ、じゃ、わからないことをノートに書いてごらん。やってみないとわからないことがあったら書いてごらん。
それぞれのわかったことの下、あいているところに書いてごらん」


わかったことから自分で「問いをもつ」学習です。
問いかける学習ですね。
そうすると次のような疑問がでてきます。


「水はすがたを変える」とあるが、「どんなすがたなのか」
100℃でふっとうするとあるが、101℃になるとどうなるのか。
ふっとうし続けたら水はどうなるのか。
「0℃でこおる」とあるが、0℃になったらぱっと氷ができるのか。
0℃の前の1℃ではどんな様子なのか。氷が混じっているのか。
水が氷になると体積がどのくらい大きくなるのか。
なぜ、大きくなるのか。
熱した時のあわがどうして水が変化したものかわかるのか。
さらに、子どもたちはいろいろな問いかけをします。


この問いかけが大切なのです。
学ぶことの意味は知識ではなく(知識も大切ですが)学びの姿勢ですね。
知識は忘れることはあっても、学びの姿勢は生涯残ります。


このようにして、結論から先に始める授業があります。
実験学習が多い場合は、よく使った学習方法です。


実験は仮説を確かめるためのものです。
正解を確認するものではありません。
課題→予想・仮説→討論(対立)→実験のプロセスを大切にします。

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