教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

                                                          教育随想  142回  夏休みは 先生の野性化                                                            教育随想  142回  夏休みは 先生の野性化                                                  

夏休みに入っても学校にはいろいろな仕事があるものです。
事務処理もあれば、2学期に向けての教材の準備をします。
それはどうしても必要なことなので仕方がありません。


でも、二学期を迎える時に、自分の身も心も一学期のままであることに気づきます。少しもリフレッシュされていないのです。
子どもたちは家庭に戻り、多様な経験をしているのに、先生は、相変わらずということになることがあります。


問題は、一学期のままの自分でリフレッシュした子どもに出会うことです。
子どもたちは、新たな気持ちで再スタートしようとしています。
それに比べて、先生は一学期の出来事や空気を引きずっています。
だから、子どもを見る目も一学期の続きとしての子どもの姿です。
決して、リフレッシュした新しい視点で子どもを眺めることはありません。
子どもは、学校から家庭に場所を移すことで、学校のルールや習慣から離れていきます。野性化します。


先生も野生化します。
先生が海、山にとアウトドアを楽しんで日焼けした姿で新学期にのぞんだとします。
日焼けした子どもの姿を頼もしく感じることでしょう。
そのとき、すでに、新しい視点で子どもをながめていることになります。


先生が変わると、その先生の心の鏡に映る子どもの姿が違って見えるものです。


夏休みは、先生であることを忘れます。
子どもの顔も忘れるぐらい自分の好きなこと、したいことに没頭します。(そうは言っても難しいところはあるのですが)
先生が自分を楽しみ、自分を解放させ、学校以外のいろいろなものに触れていく姿勢が、新しい魅力的な先生になっていくと思います。
先生の人間的な幅と広がり求めていきます。


街を歩いていると、一目見て先生だなとわかる人がいます。
子どもたちの前にいるような姿勢が残っています。
「あなた、もっと早くしてよ」とレストラン声。
厳しい顔つき、上から目線の対応。
人差し指を使って指示することもあります。
どうしても学校からそのまま抜け出したような振る舞い、表情をされる方がいます。観察して街中で先生を見つけてください。
そこに、先生の共通点を見つけることができます。
子どもたちの中にいることが日常になっていると、上から目線であったり、物事に批判的であったりします。(極端な場合ですから)

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