教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想   143回  一斉授業は 授業者の基本

一斉授業は、能力の違う子供たちを相手に一律に教えることには無理があるのではという考えから、小集団学習 個別学習という形態が生まれてきました。
所によっては、一斉授業が古いのではという考えがあるようですが、私は、違うと考えています。
しかし、私は、小集団学習を実践してきた一人です。


30人の子どもたちを前にして、一斉授業ができない、子どもたちを引きつけることができない先生は、小集団学習をされてもうまくいきません。
一般に大人社会で行われている講演会も形態としては一斉授業です。
講師の先生が聴衆を魅了されるような話し方をされています。
聴衆の一人として、楽しくて自分なりに考えを深めることができます。


一斉授業で教える(話す)ことができるようにします。
子どもたちのわかり方を表情から察知しながら話し方を変えていきます。
子どもたちの迷い、感情の揺れ、思考の深まりに気を配りながら指導します。
聞き手である子どものことをたえず頭に入れています。
特に、子どもたちの思考が停滞する瞬間を読み間違わないようにします。



一斉授業において、いろいろな例をだして教えます。
子どもたちによっては、その例だけでは理解できないことも多いです。
授業者は、3つ以上の例を懐にもっています。
自由に子どもによって出し入れできるようにしておきます。
例としての多くの話題を持つのは、子どもたちの興味関心、理解、つまずきに応じるためです。


一斉指導であっても、子どもが個別に考える場面をつくります。
どこで何を考えさせるのかという明確な目的をもって、一斉に進んでいる進度の中断をはかります。
この中断が大切です。
小さな中断は、話しているときに「間「をおくことです。
「間」の中で子どもたちの表情を観察します。
大きなな「間」は、思考を独りに戻すときです。
一斉授業の進み方は、いつも同じテンポではありません。


私の経験上から言います。
子どもの前で15分間、話し続けて子どもを引きつけなければ、ほかの学習形態をとっても難しいです。
先生が子どもを魅了する話術を身につけていないからです。
これは、日々の授業の中でできることです。
1年でも6年の子どもでも15分間話し続けて聞き手を逃さないようにします。


一斉授業は古くはありません。
先生の基礎技術を磨くものです。
30人の表情を見渡しながら学習を進めます。
一人一人の子どもとアイコンタクトしながら進めます。

×

非ログインユーザーとして返信する