教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 135回 生きて働く三つの機能

班学習というと、すぐに話し合いだけをとりあげまずが、班学習の機能からみれば、話し合い活動はコミュニケーション機能であって、本当に生きて働く(社会に向けて役立つ機能は次の三つであると考えます。


合力 助力 分業
子どもたちには
  あわせる  ささえる  わけあう
という言葉に置き換えて使わせます。


力をあわせる  考えをあわせる  意欲をあわせる
息をあわせる  調べたことをあわせる
声や気持ちをあわせる  ねらいをあわせる  など


 「あわせる」は、集団活動の中で最初に指導すべきものです。
また、子どもたちは、あわせることには、とても意欲的になりますね。
学習だけでなく、学級の仕事、当番や係活動、学校行事などで、何をあわせるのかを考えさせます。
あわせるは、お互いに共通の目的をもつことです。
一人の力をみんなの力で何倍かの力にすることです。


さらに、大切なことは、子どもたちが学級や班であわせた結果、何が変わったかを一つ一つ検証していくようにします。
あわせることで、一人ではできなかったことがみんなの力を借りてできるようになったという実感
この検証が次の「あわせる」行動につながっていきますね。


次に「ささえる」という機能。
子どもたちは、友達が困っていると助けようとします。もちろん、無視することはありますが、
それでも、学習場面で友達にわからないことを教えることは嫌ではありません。
しかし、助けることが必ずしも「ささえる」ことにはらないことがあります。
助けるというのは、ひっぱりあげる、導くなどの活動がでてきますが、ささえるは、下から友達を持ち上げるという活動が期待されます。
見守って助言する、助言して見守ることになります。


ささえるという活動は、班や集団のわかり方を平均化するときにも活用します。
つまずいている友達をささえることで、ともに、進んでいこうとする仲間意識がでてきます。


 「教えてもらって○○のことがわかった」
 「助けてもらって、わたしは気持ちがかるくなった」など、助けられた子にとって、本当によかったと納得できることです。
 また、反対に、友達に教えてあげたり、困っていることを助けてあげたりすることで、ささえた自分のほうが学ぶものがあったという気持ちがわいてきます。
助けた側の自己満足、優越感になってしまうこともあります。
ささえることは、自分も支えられているということに気づかせたいものです。


最後に「わけあう」 これが一番難しいです。
世の中は、すべてのことを分業している社会です。
自分の好きなこと、仕事だけをしていると社会、集団は成り立ちません。


子どもたちは「わたしが、ぼくが」と自分がしたいからです。
好きなことをしたい、やりたいことをしたいという気持ちがそれぞれの子どもから出てしまうと、仕事をわけあうことはできませんね。


たとえば、一番よくわかるのが清掃です。
作業分担をするとき、子どもたちは、楽な仕事、したい仕事を選択しようとします。それぞれの欲望、我欲を押さえなければなりません。だから、難しいのです。
自分がしたくても、仲間に譲るということをしないとできません。


 班で調べ学習をするときも、分担して調べる、実験するなどの場面では、子どもたちの「ぼくがしたい」という気持ちがぶつかり合うこともでてきます。


子どもたちに班活動、学習をさせるときは、班の三つのはたらきのどれを使うかを意識させてから活動に入るようにします。

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