教育随想 11回 イチローに想う 個性を生かして
イチローが選手生活を終えました。
かつて、国民栄誉賞の話が出されとき「今は過程ですので・・・」と言われて断られました。
そして、今、「後悔していません」という言葉で締めくくられました。
マスコミは例のこどく、イチローの話題にすがりつき、興奮気味に報道しています。かつての野球の恩師と言われる人たちが姿を表しています。
本当に「恩師」かどうかわかりませんが、「恩師」というのは、子どもから認められて恩師と呼ばれるものであって、自称「恩師」は疑わしいかもしれません。
イチロー効果を期待していろいろな部門でイベントを計画しようとしています。
マスコミはいつもそうですが、ニュースになる事柄については、良くも悪くもニュースらになるように味付けをしていきます。
やがて、真実から遠のいていきます。
イチローが若い時に、彼のバッティングを矯正しようとしたコーチ、監督がいたようです。しかし彼は、自分の流儀を通してここまでやってこられました。
日本人は物事をよりよいものにしていこうとする場合、欠点を探しだしてそれ直していくやり方をとろうとする傾向が強いそうです。欧米では、その逆で、よい点を探し出してそこをのばしていくやり方をとろうとする人たちが多いそうです。
物事を否定という視点から評価、検討することになると、改善への思いが強いほど、現実を否定する気持ちも強くなるようです。
その時に、個性、持ち味をつぶしてしまうこともあります。
子どもたちの個性をのばしていく時、良さ、長所を発見し、そこを評価して伸ばしていく方法のほうが効果的なことも多いと言われています。子どもによっては、逆に否定することから始めたほうが結果としてはよいこともあります。
ただ、否定はその子の個性を生かすことができないこともあります。
イチローは、インタビューの中で「孤独」という言葉を使われていました。
異国の地で外国人として生きることも孤独です。
そのうえ、自分の流儀で野球を進めていくことは「孤独」そのものであったのかもしれません。
「でる杭は打たれる」といいますが、その人が突出した才能を発揮すると打たれなくなるものです。それまでは、いろいろな軋轢があったと推察します。
改めて子どもの個性を生かすとは小学校時代にどうすればよいのかを考えさせられました。