教育随想 1109回 世間に批判されない、目のつけられない学校運営
護者クレームがさらに多くなっているようです。
自分の子どもの雰囲気にあっていないから担任を代えてくれ。
厳しすぎるから自分の子どもが不登校になろうとしている。
そのために、赴任して2年間で今年転任が決まった先生がいるそうです。
マスコミも学校のトラブルに対しては、批判的に報道します。
小さな事象を教育の危機であるかのように膨らませて報道します。
それは、学校が反論しないからです。
「申し訳ありませんでした」の一点張りです。
学校側はどうでしょうか。
世論の波を受けて、すっかりいじけています。
反発しません、言い返しません。
ひたすら謝罪のみです。
実力を発揮して学校は健全であるという実績を示すことはありません。
教育の目標に対して、真摯に実践、実績をあげているという反論がありません。
あてもなく、世論の流れのなかで漂っているように見えます。
保護者のクレームを意識して、保護者や世間の顔色を見て先生が指導しているといえば、言い過ぎでしょうか。
もちろん、私が話しているのは、一部の学校なのかもしれません。
子どもたちを甘やかす方向にシフトしています。
学力はますます低下します。
不登校児が増えています。
躾のいき届かない子が増えています。
特に、心配なのは、耐久力(身体・精神)の欠けた子が増えているように思われます。(現場の先生の話を聞く限り)
学校教育は
子どもの喜ぶこと 派手で見栄えのする行事 世間の話題になることを学校あげて取り組みます。
厳しくして子どもの機嫌を損ねてはいけない。
子どもの人権を大切にしなければ。
そこには、子どもに対して、社会に送り出す人格形成に対する思想がありません。
世間に批判されない、目のつけられない学校運営。
子どもどうしのトラブルがあったら、校長はすぐに保護者に連絡を指示する学校。
反対に、校外にもれないように担任に対する口止めを指示した学校もあります。
学校は元来、地味な存在です。
地道な活動をこつこつと続けるところです。
子どもたちを「教え」「育て」「鍛えて」時代を継承する人間の育成を求めてきました。
それが学校教育の本来の姿だと考えます。
しかし、そうはいっても、学校の主体性が弱くなっている現在においては、世間の流れに浮草のように漂うことが最も無難に過ごせるのも事実ですね。