教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1106回 教育を含めて 情報の洪水

最近、特に、ニュースや情報番組、バラエティ番組を視聴するのを好まない。
「異常な暑さです。不要不急の外出を控えてください。」
それにもかかわらず高校野球は実施されている。
コロナの時も必要以上に日常生活を自粛するように指示している。
自粛するように伝えながら、感染者は何人トム必要以上に報道する。
どういう状況での感染で、どのような人が罹患しているのか伝えられない。
あおり記事ばかりである。
あおり運転は罰則が与えられるのに。


余計なお世話である。
まるで子どもに言い聞かせるように伝えるテレビ放送。
事件事故、より過激な事柄を流している。
視聴率をとるためにすぎない。
そこには、真実はなく断片的な事実があるにすぎない。
一部の事実を針小棒大にしてニュースを伝える。
しかも、どこの放送局も示し合わせたように同じ記事である。


うんざりしている。
私は、食事以外はテレビをみない。


情報は、ネットにおいても騒がしい。
ニュースにいつもくっついてくる広告。
同じ情報のばかりが放映・発信されている。


目から情報、耳から情報、町を歩くと広告・・・。
自分の目を自分の内側に向けることが制限される。


今、私も含めて、世の中の人々は、精神的な自由を失っているように思える。
自分で考えることをしなくなっている。
人々の口から飛び出す言葉は、そのほとんどが毒された情報の切れ端ばかりである。
私はどうするか。
情報に懐疑的に、自己否定をすることで、自分の真実をつかむ。


教育の世界もおなじである
AIを活用した教育が夢の教育であるかのような。
先日、中学校の理科の先生が授業において、生徒の質問をAIにさせていた記事があった。
先生は、働き方改革につながり先生の負担が減るといわれる。
待てよ、このまま進むと、先生の仕事もAIでいい世界がくるだろう。


先生は、負担が少なくなるので歓迎している方もおられる。
やがて、自分の首をしめることになるかもしれないのに。


新しい技術、教育方法があたかも教育の革新のように伝えられている。
先生がたは、旧い教育を捨てて、新しいシステムを活用とされている。
本当に吟味されたのだろうか。
働き方改革で負担を少なくという方向もあるようだ。


やがて、先生は教職を失うかもしれない。
授業はAIに任せたほうが正確で効率がいいといわれるだろう。
でも、子どもとの人間的な営みがなくなるとと危惧される先生もいる。
しかし、それは、ふだんから子どもと交流、通い合い、共感を大切にされている先生がおられるということが前提である。

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