教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1097回 楽しむことから遠ざかる 学校・教室

学校は家庭とは違います。
先生の指示にしたがってきちんとする厳粛な印象が強調されます。
そのため入学してくる子どもは、期待感に胸を膨らませて登校します
同時に、しっかりとしなければという圧力を強く受け取ります。
そのために、必要以上に硬くなり楽しんで生活することを忘れます。
勉強の楽しさを忘れ、何かに追いかけられるような精神状態に陥ることがあります。


給食もみんな一緒に食べる楽しさよりも礼儀正しく食べることが強調されることがあります。
栄養を考えて食べることが重視されます。
好き嫌いも自由にならない食事。


校外指導でも楽しい遠足よりも、しっかり学び、きちんと行動することが過度に要求されることがあります。
学習時間も学ぶ姿勢(座り方、背筋)づくりに終始することがあります。


図工の時間も描きたい、作りたいという要求を無視して、先生は、
事前指導として長々と説明していることがあります。
体育の場合でも同じようなことが言えます。


これらの現象はすべてではありませんが、多く見受けられます。
何でもかんでも学校の手にかかれば、本来は、楽しい、面白いことでも、見事なまでも「つまらない事」に変えてしまいます。
物語文でも一人で読むとおもしろいのに、みんなで読むと興味がわいてこないということがあります。
本嫌い、国語嫌いの子どもを作り出しています。


「楽しむ」ことは遊ぶことではありません。
わいわいがやがや勉強することでもありません。
子どもたちが夢中になる学習を実践することです。
そのためには
子どもの興味関心、レデイネス、能力に配慮することです。
指導者の思い込みを小さくして、目の前の子どもの学びを静かに受け入れるようにします。
先生が子どもの先を歩くだけでなく、子どもの横、後ろを歩いてサぽートします。


学びの中に楽しむを取り入れることは、子どもが自由に考える時間を確保することです。
さらに、教室空間の穏やかさ、柔らかさが条件になります。

×

非ログインユーザーとして返信する