教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1093回 管理職批判・不満はわかるけど

たぬきの糸車は、さらに続きますが、少し休憩します。
先日、現場の先生とお話していて気になったことがあります。


いわゆる「管理職批判・不満」です。
どこの学校でもあります。
その内容をうかがっていると納得する面もあります。


職員の意見を尊重しない。
教育委員会を向いていて、職員に目が行き届いていない。
問題が生じても、外部にたいしての対策ばかりである。
管理職のしたいことは、半ば強制的に押し付けてくる。
職員を一つの駒としてしか見ていない。


先生から子どもは見えにくいです。
しかし、子どもから先生の姿はよく見えるものです。
そう、上から下は見えにくいが、下(職員)から上(管理職)は丸見えなのです。


私自身もいろいろな管理職の先生についてきました。
いわゆる上から目線のワンマン管理職。
自分の思い通りにしたがる強制実行。
研修の指導発言の中身のなさ(見識不足)
問題がおきると職員への責任転嫁。
出張ばかりで教室を見回らない管理職。
まだまだありますが、愚痴っても仕方がありません。


職員も管理職の悪口をつぶやくことで、妙に職員同士が結束できるものです。
そのような姿を見ていると、「職員も指導力がない」ことを棚に上げていると思ったものです。


私は、管理職に反抗することはありませんでした。
自分のなかで批判はしました。
批判的と批判とは違います。
批判的は負の面だけを強調します。
批判は良い面と悪い面を指摘します。


管理職は管理職なりに悩んでおられました。
愚痴を聞かせていただいたこともあります。
管理職と職員の間に入ったこともあります。
学校におこる問題は、最終的には管理職の責任です。
職員は勝手気ままに言葉を発していればいいのです。
ともに、学校を育てていこうとする気概が必要です。


ところが学校教育に対するビジョンを持ち合わせていない管理職もいます。
管理職は職員の指導者です。
自分のビジョンを出すべきです。
それを職員が話し合うべきです。
そこには、管理職と職員との軋轢が生じます。
それがいいのです。
お互いが子供を真ん中において議論すべきですね。


私は管理職に対する愚痴をこぼしている先生に言いました。
「先生の教室の子どもは、声にこそ出てこないけど、先生に対する
愚痴をこぼしているはずです。先生も管理職への不満を持っているということは、子どもも先生に対する不満を持っています。
足元の実践が大切です。
先生が一生懸命実績をあげたならば、管理職はあまり気にならなくなります。管理職が悪いから、自分は子どもを教育できないという弁解だけはしないように」

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