教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1085回 先生が職務怠慢での崩壊 人一倍熱心な場合の崩壊

先生が職務怠慢での崩壊と人一倍熱心な場合の崩壊とではどちらが多いでしょうか。
後者に多いのです。


勤務怠慢の先生の場合
子どもたちは学校に楽しみにくるのです。
厳しい説教も叱責もありません。
先生と一緒にわいわいとさわいでおればいいのです。
勉強は塾ですればいいです。


人一倍熱心な先生の場合
几帳面に子どもたちをしごきます。(今はしごくまでいかない)
少しの失敗や間違いを許しません。
宿題を忘れたら休憩時、居残りと容赦しません。
しつけに至ってはきびしいです。
手を後ろに回して話しを聞けという低学年の指導。
しかし、教育は、厳しい面がないと実績をあげられないことも事実です。
熱心な先生は歓迎されてきました。


ところが学級の崩壊が始まったのです。
その理由は、仕事内容は納得できる面がありますが、子供との間が固定されているのです。
教える人と教えられる人
教育する人とされる人
この関係は固定されたままです。


先生も子どもとともに学びあう、共育の視点がありません。
子どもと先生の親しさ、人間関係の状況が把握されていません。


4月当初、二週間ぐらい子どもたちと遊んでいる先生を見かけます。
その二週間が終わると、子どもたちの仲良しになったと思い込みます。
子どもたちとつながったと考えます。


しかし、それは先生の妄想なのです。
担任といえ、出会ったばかりの大人と心から楽しく遊べるでしょうか。
子ども側からいうと「先生と遊んでやっている」のです。
四月に先生の機嫌を損なうわけにはいきません。
上司と部下の関係です。


先生は授業、学習を通して子どもと仲良くなるものです。
したがって、子どもと心から遊べるようになるのは、もっと後のことです。
子どもとの感情の相互理解が大切なのです。


私は、子どもに対して、口うるさく言うのは、二学期以降のことです。
前半は育てる段階です。
後半は教えるが段階です。
育てると教えるを分けるのではありません。
二つのどちらに重点をおくかということです。

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