教育随想 1084回 周りから教えてあげようと思われる人間に
卒業した子どもが成人したときに、小さいときの印象とは別人に育っていることがあります。
高校、大学、社会人のなかで、小学校の時とは大きく違って見えることがあります。
この事実だけをみても、子どもは学校だけで育つものではないということです。
それに、一介の教師の世話で成人するものではありません。
いろいろな機会に恵まれて、いろいろな人の手助けを受けて開花します。
子どもによって能力が開花する時期は違います。
幼虫ー蛹ー成虫、昆虫のように変態しているように思えます。
さらに、子どもの能力を活かす運命との出会いもあることでしょう。
有名人になると、時々、その人を学校で指導したという恩師なるものが現れます。(子どもから恩師だと言われるのはいいのですが)
おこがましいことです。
決して一人の先生の指導ではありません。
また、その指導が適切であったかどうかもわかりません。
私などは、恥ずかしくて姿を現せません。
それでは、子どもがいろいろな人と出会って成長していなら、今、小学校時代に何もしなくてもいいのではという考えもあります。
かつて、ホンダの車を開発した創始者、本田宗一郎さんが言われた言葉を記憶しています。
「子ども時代、勉強ができなくてもいいんだよ。わからなかったら周りの人に聞けるようになればいい。そして、周りの人からも教えてあげようと思われる人間を育てなさい。」
子どもたちがやがて、社会の中で生きていく時に必要な基礎能力だと感じたものです。
わからないことを素直に口に出せる子。
わからなかったら行動を起こして確かめられる子。
わからなかったら周りの人にたずねることができる子。
そして、困っていたら周りから教えてもらえる子
友だちとの普段の人間関係が良好だということですね。
こういう子どもたちを学校で育ててみませんか。
基礎能力を計算・漢字に絞る必要はありません。
むしろ、学ぶ能力として「疑問」「確認」「検証」する能力こそ大切ではないかと思います。
これらは、授業の根底にあり目標にもなるものですね。