教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1083回 育てるとは、種をまいて「待って見守る」

先生の仕事は基本的には一年契約です。
だから、4月当初にガツガツして指導しなくてもよいのです。
来年月までに学年に相応した子に育てたら良いのです。
引きこもりの子には 社会性を。
勉強嫌いな子には、学習意欲を。
暗い子どもは明るくなるように。
嫌われる子には人気がでるように。
消極的な子を積極的に。
挨拶のできない子をできるように。


先生は、一人ひとりに対して願いを持ちます。
この願いは、先生が願うものでいいのです。
子どものすべてを育てることはできません。
ただ、育てる入口、糸口を何にするかということです。
そして、一つのことが育っていくと子ども全体が変わっていきます。


一年かがかりでじっくりと取り組みます。
口、言葉で教えるのではありません。
子どもの体内に芽を植えます。
芽とは、子どもにとって成長の動機になるものです。


大概の先生は、4月に担任した時点で全力投球します。
子どもたちとお互いの面識がないのに頑張ってしまいます。

その後、育てることをしなくなります。
育てるとは、種をまいて「待って見守る」ことです。


一年かかって、ゆっくりじっくりと育てるという意識を確かに持ちます。
重い病気ほど治癒するのに長い時間がかかります。
教育の仕事も同じですね。
功を焦ってしまわないようにします。
「もっと明るくふるまいなさい」と言って、暗い子を明るい子に育てることはできません。
暗い理由が子どもの気持のなかに沈んでいます。
底に沈んでいるものを見つけることから指導が始まります。
「何があの子を暗くさせているのか」という問いをもって接していきます。
すべてが暗いということはありません。
ひょんなことから、明るい表情をのぞかせることがあります。
その瞬間を見過ごさないことです。

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