教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1078回  学校は組織 商店街のアーケード

職員ほど上司、同僚の悪口をたえず口にする世界はないかもしれません。(ストレス発散も必要)
職員室の隅、校内の教室、学習園等でひそひそ話が聞こえてきます。
かつて、神戸市で大きないじめがあったが驚かない。
これは厳しい見方ですが、先生という人種は「井戸の中の蛙」的なところがあります(一部だけど)


先生が研修で一般企業に一定期間勤めていた例があります。
あまりいい評判は聞こえてこなかったです。
というよりは、可もなく不可もなくということでした。


ところが学校現場においては
自分ひとりが教師の良心に目覚めているように自己陶酔している先生もおられます。
その立場で周りの職員を批判されるからたまりません。
常に、上から目線で指示します。
新卒の先生に対しては、厳しすぎる面があります。
自分も新卒時代があったことを忘れ去っています。
パワハラになりやすい環境がつくられます。


学校は組織で運営されなければならない職場です。
学校内でとげとげしい雰囲気がでると、それがすぐに全校の子どもの気分を支配してしまうことがあるのです。
職員間の意見が対立しても、どちらの立場もとらずにまとめていく努力も必要です。(これは難しい)


私の内輪話として
自分の実践を自ら職員室でださないようにする。(自分が浮く)
仲間の教育論や実践は謹んで拝聴する。
決して異論を唱えない。(先生を包み込む)
上司の指示には絶対従う。
上司に食ってかかっても、学校としての責任は校長にある。
考えはだしてもいいが、強く反論しない。
まずは、上司の理念を実践できる先生でありたい。
これは、自分が上司の立場で考えれはわかることである。


学校において、お互いの実践交流することは必要です。
しかし、際立った実践は敬遠されることがあります。
その優れた実践を認めると、自分の実践が貧しく見えるからです。



学校は組織です。
商店街のアーケードです。
各先生の実践、教室は個人商店です。
商店街の雰囲気に支えられて個人店はあります。
個人店の繁栄によって商店街も栄えます。


学校は個人の実践によって支えられています。
個人の実践は、職員全体に支えられて成り立ちます。

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