教育随想 111回 獣医と人間の医者の違い
韓国ドラマ「馬医」を視聴していると、次のような言葉を耳にしました。
「人間の医者は、患者を診る→症状を聞く→必要なことを問いかける→それから触れるけど、馬医は、動物は言葉をださないので、診る→触れるの二つしかないのです。」
ふだんの教育に置き換えます。
診る・・・子どもの事実を詳細に観察
聞く・・・子どもの気持ちを尋ねる
問う・・・子どものいい足りないことを問いかける
触れる・・・これは指導するに置き換えます
診る→聞く→問う→指導(手を入れる)
子どもの年齢が低いほど、獣医の診察に似てきます。
診る→指導で真ん中の言葉を省略することがあります。
低学年の子どもは、自分の思いをうまく表現できないので、指導者でくみ取っていくしかありません。
「どうしてわからないのかな」
「どうしてそんなことをしたの」
「どうしていじわるしたのかな」
など、子どもの考えや思いを言葉で求めることが多いですね。
しかし、この言葉ほどあいまいなものはありません。
子どもは、言葉では言い表せない部分のほうが多いものです。
先生が子どもに向かって言葉で尋ねることで、子どもは緊張して思うように話せない子がいます。逆に、適当に嘘をついて言葉を濁す子どももいるでしょう。
子どもを診ることで、子どもの思いがわかるのは難しいかもしれませんが、いくつかの事実を集めることで、その子の心の様子がわかってくることもあります。
子どもをパターン化しないで、ありのままの情報を集めることが大切になります。最初に先入観があると、その先入観に見合う情報だけを集めようとします。
しかし、どうしても先生は自分の経験から先入観を持ってしまうのが常です。
仕方がないことです。
だからこそ、自分の見方を常に吟味することが必要です。
報道番組も同じです。
はじめに構想ができてしまっています。(ある意味では先入観)
その意図にあう情報(出来事、インタビューなど)を集めていることがあります。
公平な番組とは言えないものがあります。
一部の事実を集めていますが、全体ではありません。
事実ではあっても、真実ではないことがあります。
まさに、子ども理解も同じです。
先生の経験やストーリーの中で理解してしまうことがあります。
先入観をもって子どもと接することの危険性について振り返る必要がありますね。