教育随想 110回 6月から7月 表れる学級の小さな事実を大切に
4月と比べて、学級が変化してきたこと、小さな変化でもいいので列挙してみます。その事実の中に、先生の財産となる指導の技術があるはずです。それらの事実は、単なる偶然なのか必然なのかということです。
小さな小さな事実、そこから先生方は、子どもの現実の姿にたどりつき、そこから指導方法なるものが生まれてきます。決して、指導方法や技術は、教育参考書から始まるものではないと考えます。(全否定ではありませんが)
同学年であっても子どもたちが違うことで、その指導方法は異なります。決して一般化できないですね。 私が、お話ししていることは、「そんなこともあるんだなあ」と言う程度で聞いてください。たいしたことは話していませんから。
さて、6月の学級の高まり、他に見られることをだしてみます。
本当に小さなことです。
挙手、手の先まで伸びてきます。
子どもたちが手を上げたときに、「あなたの手はどこからどこまでですか。指先は入りますか。」というようなことを話します。
そして、子供たちの指先を見て指名するようにします。
子どもの退出したあとが少しずつ整頓されてくるようになります。
子どもの学習机の学習用具が整理されてきます。いすは机の中に入っています。「入れなさい」と伝えただけではなかなか入らないものですね。
これは振り返ることのできる子どもが育つことで見られるようになります。
下駄箱や後ろの棚の整理整頓にも意識が回るようになります。ただ、決して、短時間でしつけないようにします。
短時間でしつけたものは短時間で壊れていきます。
4月に先生がよくだされる言葉「もう、子どもは私の手の中に入ったよ」
たいがい、6月頃になると、しつけはこわれて、その先生から愚痴がこぼれてきます。
経験上、最低、3ヶ月ぐらいの時間がいるようです。
清掃、給食当番の活動時間が早くなってきます。
子どもたちの動きに無駄が少なくなってきます。
目的意識が明確になってくるからです。
「ありがとう」「ごめんね」という言葉が子どもたち同士で多用されるようになります。
ただし、その源は、先生が毎日、「ありがとう」「ごめんなさい」という言葉を、子どもたちに向かって話してきた結果によるものです。
学級に活気、元気がででくると、給食の残菜がありません。
学校全体の子どもたちの様子を知る一つの手がかりとして、給食室に足を運び、調理師の方に各学級の残菜を尋ねます。
学級に元気がなくなってくると、残菜が増えてきます。
子どもの食欲は、学級集団に影響されています。
さらに、保健室に行く子どもが少なくなってきます。
子どもの駆け込み寺としての保健室ではなくなります。
新学年を担任すると決まったとき、私は、学級の子どもたちの一年生からの保健室、来室記録を見せてもらいました。
来室回数とその理由が大切です。
小さな事実から子どもの姿が見えてきます。
全員遊びの時間が増えてきます。
みんなで遊ぶ楽しさを覚えると、そちらに夢中になります。今の子どもたちは、下校したら、集団で遊んでいる子どもは少ないです。ゲームや塾通いに忙しいですね。
集団が分断されています。
学校だけが唯一、友達と集団的に関わりあえる場です。
だからこそ、集団遊びを大切にしたいものです。
子どもたちが学校に着てくる服がなんとなく明るくなってきます。
これは子ども自身の好みの問題があるので断定はできません。
ただ、一人の子どもを追っていくと、黒い服しか着なかった子どもが、ある日突然、ビンクや黄色の服を着るようになってくることがあります。エネルギーの弱い子どもの服を追跡してみとおもしろいですね。
まだまだ他にも先生方は見つけておられると思います。
ただ、私から言えることは、6月のから7月までの間は、先生の4月からの指導の結果が表れ始める時だということです。
特に、不思議と、6月の下旬から7月の上旬にかけて、その成果が表れるから不思議なのです。
子どもたちの様子に目を離さないようにしてみてください。
今まで以上に感覚を子どもに向けてみてください。
子どもたちの気配の違いを感じてみてください。
何かひっかかりがあると思います。
どんなに小さなことでも書き留めておきます。
そして、なぜ、そのように変化したのかを推察します。
子どもの事実が指導の始まりです。