教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1075回  集団に寄与できる自分

前回は
「集団によって支えられている自分を知る」ことを中心にお話ししました。


今回は
集団に寄与できる自分に誇りを抱く。」ことについてです。
これは、子供たちが自分の所属している集団に誇りを持っているかどうかです。
ただし、自分の一人の力がチームが勝つことに役立っていることを自覚できるときです。
スポーツの世界では、自分の所属するチームに誇りを持っている場面を目にします。


子供たちが「ぼくの学校」「わたしの学級」「わたしたちの班」という明るいイメージが持てるようにします。
所属意識を高めることです。


そのためには。「自分が支えられている」意識だけではだめです。
自分が集団の一員として、集団の向上、発展に寄与しているという自覚が生まれるようにします。


係活動において、自分の考えが活動に生かされるとうれしいものです。
自分の能力が生かされる集団に愛着を持ちます。
会社も同じですね。
学校においても、一人ひとりの職員の能力が認められて生かされる集団が働きがいがあるものです。


学校、学級においても同様ですね。
その最たる機会が授業。
はっきりした学習のねらいがある活動。
そこに近づくために、子供たちは自分を擦り合わせる。
自分の考えが全体の学習を広げたり深めたりすることの喜び。
だからこそ、指導者は、子供たちの考えをできるかぎり多く集団の場に広げることが大切である。


今、教育機器を活用した授業が増えています。
そこには、個人としての学び(学びなのかは疑わしい)が中心になっています。
知識として認識しやすい面もあります。
しかし、集団の立つ位置が薄くなっていることも確かです。
学びの集団とは表向きで、個別に学ぶ子供の集まりではないかと思える時があります。


子供たちの考えが教育機器を通して交流している場面がありました。
それもだめだとはいいません。
ただ、子供たちが直接ふれあい、ぶつかり合う集団からは遠のいています。
触れ合うことがなければ、それぞれの子供たちが自宅でネット学習をすればいいです。

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