教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1074回 集団は個人を育てる

個人か集団か、どちらに重点を置くべきか。
個人の力は集団を変える。
集団の力は個人を変える。


集団学習、小集団学習は昔から言われ続けてきました。。
これは、決して集団に重きをおいているわけではありません。
目的は個人の能力、人格の変容です。
そのために集団によって個人が変容されるのです。


私たち大人の社会を考えるとわかります。
個人の自由や安心は、社会という集団によって成り立っています。
集団にはいろいろな個性をもつた人がいます。
私たちはその人たちの刺激を受けて自分を活性化することがあります。
逆に反面教師として、自分の行動を見直すこともあります。


これを教育の場に持ち込むと
集団によって支えられている自分を知る。
②集団に寄与できる自分に誇りを抱く。

子供たちが学級、学校という集団に所属する意義であり目的です。


学級生活は、当番活動や係活動において、一人ひとりの生活を支えています。
このことに気づけるような取り組みが必要です。
掃除、給食、係活動を一人でやってみればいいです。
実際に、一人で教室の掃除にどのくらいの時間がかかるかを実際にやってみせます。(4月)
仮に一人で実施すると、30分かかったとします。
これを二人でするなら15分、4人なら8分という単純計算をします。
ところが実際には、6人ぐらいで清掃して20分かかることがおかしいということになります。
どこかに、作業の無駄があることになります。
さらに、清掃活動の分担場所を変えることで、違った目で教室を見直すことができます。
仲間と活動することて、時間、作業においても、集団に助けられていることがわかります。


教室の活動を実際に一人でやらせてみるのです。
他の人は、見学させます。
能率の悪い点を見つけメモさせます。
そのあと、作業の効率化についての話し合いを持ちます。
ただし、効率化について考えさせる場合です。
逆に一日交替で班に教室掃除をさせます。
すると、効率化だけでなく、ていねいに清掃するところが違います。
清掃の順番をちがってきます。
班独自の視点で清掃活動に取り組ませます。


「集団によって支えられている自分を知る」上で、最もよい機会は授業です。
集団学習の実施です。
仲間と考えをすり合わせることによって、自分の考えが広がり深まっていくことに気づきます。


独りの理解、認識は、仲間によって刺激を受ける。
個人思考は集団思考によって深みを増す。
班学習は、独りの思考を増幅する場である。
これらのことに気づかせる授業の流れをつくる。


集団と個人は、教育指導の両輪です。

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