教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1070回 子供と通じ合うための実践 よもやま話

子供ととりとめない会話をする。。
私には、ついていけない話題が多い。
話がエスカレートすることもあるが理解できないもものある。
年の差を感じることもある。


子供を仲間として、その雑談のなかに入る。
いや、入れてもらうというほうがいいだろう。(お邪魔しますよ)
いわゆる子供との世間話。
「先生がいないと、話がもりあがらないよ」と言われたいが、逆に盛り下げることのほうが多かった。
私は、子供たちの人気音楽や俳優についてもデレビで勉強するのだが。


今まで話してきたことは、学習以前に子供たちと、どこで、どのように気脈を通じておくかということである。
「そのような事は、一学期当初に手をうってある」という先生もおられる。
しかし、それから半年の間、二学期末において、その絆は現在でも強固に結ばれているのかと疑問に思う。
気脈を通じるとは、日々の日常生活においてできるものである。


子供たちの視線に立つ。
一人でも担任を批判的に眺めていないか。
子供たちに小さな誤解を与えていないか。

子供の顔を見ればわかる。
「ああ、あの子は私を誤解しているかも」と気づきます。


その誤解をそのままにしておくのは良くない。
小さな誤解から学級崩壊は始まります。
子供側からは、先生の欠点がよく見える。
欠点はしかたがないが、誤解されているままになっていることはよくない。


時々、毎日の日記活動を利用して
「先生、言いたいとがあるよ」という題名で書いてもらった。
手厳しいことも書いてもらった。
そのことが言えるお互いの関係がうれしかった。

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