教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1067回 子供が抱く「いろいろ性」を尊重

学校生活の中でも、学習時間に子供たちはいろいろな発想を秘めています。
それぞれの子供の発想(いろいろ性)が全体の場で生かされているとはいえません。
そのためには、一人の発想を全体の場で協議する場を設定します。


子供集団(教育されていない集団)は平等ではありません。
集団のなかで位置の高い子の発言は取り上げられます。
存在の薄い子供の発言は無視されることがあります。
あるいは、揶揄される傾向にあります。


さて、位置が高い子とは
先生に一目おかれている。
学力が高くて発言力がある。
得意な教科や技術がある。
態度に好感が持てる。
清潔・明朗・活発・機敏な行動。
いずれも集団のなかでは存在感のある子です。
授業進行においては、先生の親衛隊になる子らです。


まず、このような集団意識を改めることです。
子供も先生も改めることです。


発想そのものが価値判断できる集団に育てることです。
子供の考え、意見の内容そのものが大切にされる集団です。
有力なA君の考えだから、提案したことだから良いという考えをなくすことです。
考えを提出した人ではなく、提出した内容で評価される集団づくりです。


学習の大きな流れからそれている考えだから抹消されるのではありません。
全体の学習の流れからそれていても、その内容に耳を傾ける姿勢を大切にすべきです。
先生も子供も、あの子が話したからではなく、その内容を吟味する謙虚な態度を育てます。
先生は、子供たちの発言内容に対して平等に取り扱うことです。
このことが集団に定着してくると、授業の話し合い活動に深まりがでてきます。
集会活動の質が向上し、充実した集会が期待できるようになります。
一部の子供の発言に委ねる学習や集会ではなく、すべての子供が参加できるようにします。


そのためには、まず、授業の中で子供たちのもつ「いろいろ性」を意識的に取り入れていきます。

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