教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 109回  6月 学級の中に潜んでいた問題 表面化

先日、勉強会に来ておられる先生から伺った話です。
 前の学年の時からくすぶっていたけんか、いじめが表面に表れたということでした。もともと、仲のよい男女だったのですが、いつのまにか、お互いを責め合うようになったそうです。
先生のいない時に、その罵りあいがでていたようです。
一方の子どもが、家で母親に学校に行きたくないと訴えたので、親から担任に連絡があったようです。


担任は、すぐに子ども二人を呼んで話を聞きました。
もともと仲のよい子は、自分の思いをぶつけあってかなりすっきりしたとのことでした。
問題は、そのことよりも、その二人の問題、けんかの時に学年全体の子どもたちが関わってきたということです。週刊誌のゴシップ記事を世間が興味をもって読むのと似ています。
学年の先生は、そのことに気づかなかったようです。


6月から7月の上旬くらいの間にこのような学級に隠れていた問題、いじめ、意地悪、不登校などの問題が露わになってくることがあります。
学級という集団は、その中に潜む集団のエネルギーによって、地震の時の岩盤のひずみがずれてくるのと同じことが起こることがあります。
子ども同士の力関係が拮抗することで、お互い人間関係に歪みを生み出してきます。


新学期が始まって3か月たつことで、今まで目に見えなかったこと、子どもたちが我慢していたことが吹き出しくるのもこの時期ですね。この時期を乗り越えた学級は、2学期以降の成長が期待されます。


まず、先生は、学級に起きた問題を他人事とせずに、自分の指導責任として正面から取り組むことが大切です。決して、自分の力量不足だと思わないようにします。今、問題がわかったことを感謝すべきです。


子どもが訴えるのは、先生との信頼関係がでてきた証拠です。
ある程度、学級の時間をさいて、個人の問題であっても、学級の仲間としての問題として話し合うようにします。
いじめは子どもの訴えがある前に先生が察知できるようにしたいものですが、なかなかうまくいかないこともあります。しかし、いじめが表面化した場合は、全体の問題としてとらえます。


このようなケースで大切なことは、「子どもの吐き出し」です。
紙に書かせて、自分の不満を吐き出させるようにします。
個人に向かって書いてもよし、先生に対する不満を書いてもよしです。
先生に対する不満を子どもが書く時は、先生に対して信頼したいという願いがあります。全く信頼していなければ書きませんね。


このような「吐き出し作文」私は「心の便所」という名前をつけていました。
自分のイヤな思い、不満を一気にだしてしまうことですっきりさせます。
もちろん、先生は、その作文を非公開とします。
そして、直接、問題に触れることなく、思いやることの指導をいろいろな場面で指導します。


先生は、子どもたちに入れる(指導)前に子どもの思いを出させる(吐き出し)ようにします。子どもたちの思いを聞かないで、先生の思い、指導を入れようとすると、子どもから反発をかうことになります。


ただ、今、起きた問題が本震なのか前震なのかを見極めることは大切ですね。
私は、その先生に7月の上旬ぐらいまで、いっそう子供たちの表情、空気を注意深く見守るように伝えました。

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