教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1065回 教育のおもしろさは 手引きが使えないこと

一人の子から得た指導経験を他の子供に直接与えることはできません。
一人の子を教え育てる方法は、すべて同じではありません。


新しい出会いの子供たちを見ると、今まで指導した子供に似ていることはあります。
先生は、指導を一般化、分類化されることが多いです。
「暴力的な子には」「落ち着きがない子には」など、経験から指導をパターン化されることがあります。


自分の経験を生かして、思い出して子供に対応することがあります。
押し付ける・強要する教育なら可能です。
自分の思った通り指導すればいいのです。


しかし、育てる・引き出す教育となると個別的です
指導の入口、きっかけがそれぞれ異なります。
さらに、今の子供が育ってきた成育歴がちがいます。
家庭環境、保護者の指導の入り方がちがいます。


子供の指導は、子供の実態のなかから見出すことができます。
なぜ、今、勉強をしようとしないのか。
席についても無関心を装っているのか。
ノートをとることがないのはなぜか。
いつから勉強に興味をもたなくなったのか。


それぞれの子供の事実の裏には、必ずそれなりの理由があります。
ところが、先入観や今までの指導経験というフイルターをかけていると、子供たちの事実は見落としがちです。


子供たちを観察する立場があります。
子供たちを共感する立場もあります。
子供たちとの壁をなくして、お互いの思いを共有する立場もあります。
それぞれが大切です。




指導者は子供の前に立てば、白紙の心を持ちます。
心を白紙にしていると、その上に自然に子供の姿が描かれるようになります。


先生と子供の対立関係を弱めます。
先生も子供も分けて考えません。
先生の中に子供がいます。
子供の中に先生がいます。


引きを使わないことは、先入観をなくすことです。
手引きは、先生のサングラスです。

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