教育随想 1064回 先生の指導力は 子供が変わるきっかけづくり
一人の子がいました。
この子は緘黙児童です。
今まで学年が変わるごとにそれぞれの担任が言葉を使わせるために苦心を重ねてきました。
6年生になって、A先生が担任になりました。
その子については、前担任から事情は聞かされていました。
A先生は、示された資料をもとに献身的な努力を重ねてきました。
結果 その子は名前を呼ばれると小さな声で「はい」と言えました。
さて、ここからが問題です。
その結果を見て、自分に置き換えてみてください。
①その結果を得々として語り、自分の力量の高さとして自負心をもつ。
②小さな声で「はい」としか言わせられなかった力量不足に悔しがる。
あなたはどちらの性格ですか。
大抵の自慢話は①の場合です。
「はい」と返事したことのすべては、指導者の力としてみてよいのでしょうか。
その子の成長があります。
家庭のなかでの営みがあります。
その子を取り巻く友だち環境の変化があります。
性格として大器晩成なのかもしれません。
これらの諸条件を除いて、自分の指導に固執するのが教師根性です。
自分の教え子が東大に入った。
どこどこの有名企業の社長になった。
この手の話が好きな職業です。
入った、成った、それは結構なことです。
しかし、自分ひとりの功績のようにいわれることも多いです。
人間の成長、変容は、そんなに単純なものではありません。
私たち教員が子供たちに指導できることは、ほんの一部です。
たまたま成長のきっかけを与えることはあります。
しかし、子供たちの成長は、その子を取り巻く環境のすべてがきっかけになっているはずです。
子供が宿題をするようになってきた。
本当に担任だけの力でしょうか。
子供を取り巻くすべてのことが縁となっているはずです。