教育随想 1061回 学校は子供と先生が 共に間違いを起こす場
間違いは子供だけに起こる現象ではありません。
子供も先生も発展途上の人間です。
その間違いを率直に認めることです。
音読教材の読み間違い、漢字の筆順の間違い、計算間違いなど子供から指摘を受けることがあります。
下調べをしっかりしているつもりでも間違いは起こります。
その時に子供たちに「ごめんなさい、先生の勉強不足です」と謝ります。
英国のある哲学者は
「間違うから人間である。間違いを少なくしよう努力するのも人間である。」
先生は子供の前で間違うと、先生失格のような気持になられる方がいます。
なんとかごまかそうとされる時があります。
これは、子供たちにとっては不信を招くことになります。
話は、京都大学の哲学の教授(今は退職)が激賞された先生がおられます。その先生を紹介します。
その教授が小学校3年生の時、村の小学校におられた時のこと。
若い先生が国語の時間に子供の前で範読していた。
「村落をムラオチ」と誤読した。
すかさず3年生の少年(教授の子供の頃)が
「先生ちがうよ。ソンラクでしょ」と注意した。
すると先生は「間違いでした」としばし絶句された。
そして、顔を真っ赤にされて
「〇〇さんが言った通りです。下調べを怠けたので間違いました」
年端もいかない子供たちに謝っておられた。
先生も勉強して発展し続けなくてはいけません。
子供も先生も発展途上の人間です。
その間違いを出発点として、お互いが認め合い信頼しあうことができます。
はっきりいって、今の若い先生のなかには、早くから老成して「私は教師なのだ」と胸を張っている人がおられます。
教師は、先生になったらすぐになれるものではありません。
何年何十年と子供たちと歩いていくなかで、少しずつ近づいていくように思えます。
「私は担任として不十分な先生である。しかし、先生としての情熱だけは誰にも負けはしないという意識を持ち続ける。」
この気持を持ち続けられる先生でありたいと思っていました。