教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1058回 子供一人ひとりが認められる場を平等に

ユーチューブ動画、誰もが立ち上げることができます。
動画の中には、視野を広げたり考えさせる視点を与えてくれたりするものもあります。


しかし、その根底に、「自分の存在を知ってほしい」「自分を認めてほしい」という承認欲求が感じられます。
世間の人に注目されるために、より特異な、さらには過激な動画も散見されます。
さらに、その方の孤独、憂いを感じるものもあります。


子供たちは、常に、友だちや先生に対して承認欲求を持っています。
誰からも自分の存在を認めてほしいと思っています。
勉強やスポーツが得意な子は、学級において自然に目立ちます。


ところが、先生や友だちの目に入らない子がいます。
おとなしい、口数が少ない子。
授業中も挙手もしないが真面目に聴いている子。
友だちとあまり関わらない子。


そのような子供たちは、他の子供たちよりも強い承認欲求を持っています。
積極的な友だちを羨ましがっています。
それに比べて自分はだめだなあと思っていることもあります。
保護者懇談をしても、親は「別に問題はないです。手のかからない子ですね」といわれる子もいます。
手がかかるのが子供なのに、手がかからないとはどういうことなのでしょうか。


いずれにしても、子供は、先生に認められたいのです。
でも、その行動の仕方がわからないのです。
先生が挙手する子を指名すればするほど、その子たちは教室の墨に追いやられます。
先生は、その子たちにこそ手を差し伸べます。
活動時の役割分担を挙手で選ばないようにします。
先生がぬくもりのまなざしで、その子たちにお願いします。
先生は、その子と周りの友だちとをつなぐ架け橋になります。


どのような子も認められたいという承認欲求を持っています。
子供一人ひとりが認められる場を平等に与えます。

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