教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1057回 学び手の事実から指導が始まる(教員採用試験指導から)

教材研究と授業の指導に加えて、教員採用試験の指導もしています。
対象は何年か講師経験をして改めて採用試験に挑戦したいという方です。


数年間のブランクがあります。
大学を卒業したてとは違い、多くの教科の勉強をこなすのは大変です。
今、指導しているのは
数学 国語(長文読解・語彙・古文・漢文他) 理科(物理・生物・化学・地学) 社会(地理・歴史・政治・貿易・国際関係)
さらに、家庭科・音楽・図工・体育・英語です。
幅広い知識と思考が要求されています。
さらに、論文、面接の準備もします。


私にとっては、ありがたいのです。
自分の勉強として見直しができるからです。


さて、受験勉強を指導していると改めて感じることがあります。
それは、子供に授業をしているのと同じだということです。
教科の内容の準備にかなりの時間を使います。
さらに、指導方法を考えます。


指導は、学び手の事実から考えることです。
これだけの知識を入れなければならないと考えると、学び手に無理をさせてしまいます。


どうして、ここがわからないのか。
指導の仕方を変更する必要がある。
できるはずだと思っていた数学の問題につまずく。
その問題よりも、もう少し前の段階に戻るべきだ。
語彙力に問題がある。
音読で文字を飛ばす癖がある。
長文読解は小学校から高校ぐらいまでを段階的に指導する。
土日にそれぞれ3時間程度の勉強時間をとる。
採用試験には、今の社会情勢が繁栄されている。
国際問題、環境問題は毎年出題されている。


教科の基礎から始まって過去6年間の採用試験問題をとく。
ゆっくり考えていると時間がない。


学び手の弱いところをさぐり、その事実から指導が生まれる。
決して、自分勝手な高い位置からの指導はダメ。


子供たちの指導も同じです。
子供の事実、実態をもとにして指導を考えます。
初めに、参考書ありき、ネット資料ありきではだめですね。
まず、子供の学びの事実からはいります。
先生は実践家であって理論家ではありません。


覚え方、目から入れるタイプ、耳から入れるタイプ、手も使っていれるタイプなどがあります。
どのように学んでいるか、その過程を観察して指導します。


指導者とは、相手のつまずきに一歩も二歩も下がることができる人です。
自分の知識を出し惜しみができる人です。(相手を見て小出しにする)

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