教育随想 1050回 教師としての適正 微笑みをもって見守る
詩人のサトウハチロウさんは、「子供のにおいは太陽の匂い」と表現されていました。
子供たちと付き合っていて感じること。
春先に、若い草が萌え出す前の枯草。
春をいっぱいためこんで、これから青い空に向かってぐーんと伸びだす匂い。
清流のなかで気持よく泳ぎまわる鮎の匂い。
どれも、枠に縛られないエネルギッシュな生命体を感じます。
子供たちの無鉄砲さ。
子供たちの押し付けられたルールを乗り越えようとするたくましさ。
興味関心のあることには、時を忘れてのめりこむ粘り強さ。
授業で、指導者の意図にないものを出してくるユニークさ。
悪いことをして叱られても、その過去を忘れて前進する子。
子供は丸ごと感性です。
目や耳が働く前に、心をもって感じ取る感性。
直観的で、創造的で何もものにも縛られない子供。
そして、行動力。
疲れをしらないる前に行動する無鉄砲さ。
このような子供をほほえみをもつて見守ることのできる人が
教師として適正なのだと感じています。
私は、この点においても、適正があったとは言えませんね。
子供以上に感情的、感性的、衝動的である私が、先生の姿から見え隠れしていました。
ああ、一言多かった、一言少なかったというくやしさ。
どうして気づけなかったのか、後の祭り。
子供が大好きである条件についても、本当にそう言えるのか疑問です。
好きか嫌いかというよりは、ひたすら対等の人間として付き合ってきた私です。
未熟な私を受け止めてくれた子供たちのお陰で少しだけ成長できたように思います。