教育随想 1051回 教師の適性 師弟間の愛を育む
動物を愛することができる人、子供は胸の内を開きます。
よくいわれることに「動物は餌、人は言葉」で仲良しになるといいます。
しかし、子供たちと深くつきあって、お互いが協調できたり、理解したりする間柄になるには、師弟間の愛が必要です。
言葉ではないもので先生と子供が分かり合える。
目に見えない放射線で理解しあえる。
これが教師の適性ではないかと考えてきました。
朝「おはよう」と挨拶を交わす。
交わしあうお互いのまなざしを通して、子供の気持が伝わってくる。
最初は硬かった子供のまなざしも、やがては、柔和な瞳が見られる。
子供に言葉で諭すことがあっても、子供を揺り動かすのは言葉ではありません。
言葉にならない、目には見えないエネルギーのやりとりです。
顔という表情だけで通じ合うこともありますね。
子供を愛するとは、子供の目線に立てることです。
子供を愛するとは、子供の気持に共感できることです。
子供を愛するとは、子供の過ちを受け入れられることです。
そのためには、私自身の器を広げるしかありません。
我慢して見守ることも大切な愛です。
先生としての自我が強すぎると、子供を萎縮させます。
教師の適性について、今になって書いているのは、私の懺悔であり、
よい教師でなかった証しでもあります。