教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1046回 授業開始5分間で 授業終了前5分間で

授業についての考え方の一つとして例をあげる。
あくまで一つです。
教材を子どもに理解させ伝えていく。(文化継承という側面)
理解過程は内容に興味関心を持たせることが始まり。
そのために、いかに、効率的に、わかりやすく 伝えるかが大切。


授業開始5分間
大抵の授業は、導入に5分間以上かかっている。
最初からもたもたしている。
なかには10分以上かかる授業もある。


先生の子供に対する話ぶりを見ていると前置きが長い。
授業の始まり
「今日は国語の勉強をします」(時間割ですでに承知)
「教科書の〇〇のところから勉強します」(前回の続きであるから必要なし)
「筆記用具をだしなさい」(論外である)
「ノートを開きなさい」(ノートは使うことに決まっているから初めから開いておく)


この前段階にもっと必要のない言葉がある。
「席につきなさい」
「静かにしなさい」
「こちらを向きなさい」
4月の最初の日ならわかるが、あれから何か月がたっているのか。


導入は、本時の勉強がチャイムがなる前にすでに理解させておく。
したがって、授業者の第一声は、学習課題の提示である。
高学年では、この学習提示も必要としない。
すでに全員がわかっているからである。


なぜそれができるのか。
それは、前時の授業の最後の5分間にある。
ふつうは、一時間の学習のまとめで終わる。
しかし、そこからが始まりである。
次時の学習の始まり。
次回は、何を学習するのか。
学習課題は何かを見つけて終わる。
高学年では、学習課題がわかったなら、準備は何かを予習する。


だから、当日の授業は、学習課題からいきなり始められる。


授業者は、常に5分間でどれだけのことができるかを意識する。
5分間たったら、学習の核に入れるようにする。


これは、最初から無理です。
何回も失敗を繰り返して、自分の授業を振り返って身に付きます。

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