教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1037回 保護者のクレーム 子どもを真ん中におく

昔は、子どもを学校に送り出すときに
「先生の言うことをしっかりと聞くんだよ」
先生には
「うちの子ども、悪いことをしたら叱ってやってください。」
先生にお任せでした。


今は、保護者の学歴が高くなっています。
知的レベルにおいては、同等かそれよりも低く見られています。
それは、授業を参観すればわかります。
教科そのものに深い造詣をもっているかどうかです。
校区に大学の先生が多い学校で聞いた話です。
教科指導に対するクレームが多いそうです。
「あの指導は学問的に間違っています。訂正してください」とのことです。


このような学校では、先生も教科指導の研究により力を入れざるえない状況だそうです。(転勤希望者も多いとか)


保護者から相談やクレームについてお話します。
チャンスです。
子どものことや先生と保護者の相互批判の場てはありません。
お互いに相手を悪く思って膝を交えて話し合っても、いい結果をえることはできません。


保護者との話し合い、それがクレームであっても子どものことを話し合える良い機会です。
一人の子どもを先生の目と保護者の目の双方から見る事ができます。
保護者の話をしっかりと聞きます。
途中で先生は反論しないようにします。
まず、相手の考えを吸い取ります。
それが大切なのです。
保護者には、相談相手がいないことが多いです。
とにかく悩み、不満を聞いてほしいのです。



先生は、自分の行動や指導が相手に誤解を招いていることに気付きます。
あるいは、自分の実践の姿勢が理解されていない、されにくいのだと知ることです。


保護者が不満に思うのは当然であると知ることです。
そこから、ていねいに先生の話が始まります。


相手の考えを聞くことに徹します。
聞くことで、保護者は自分が少し受け入れられていることに気づきます。
保護者は、本当は、学校に足を運ぶことに不安を持っているのです。
その不安を聞くことで、受け入れられているという安心感が生まれます。

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