教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1035回 自分の身を守る、弁解に使用する言葉が豊富

私が指導を受けていた先生のお話から入ります。
「今の子どもの語彙は豊富。今の幼稚園児は、昔の6年生に匹敵すると言われています。
けれども彼らと行動を共にすると、偏った使い方が見えてきます。
その一つの傾向として
自分の身を守る、弁解に使用する言葉が豊富であること。
他人を責める言葉が豊富であること。
世間話に長じていること。


その裏として
自分の心境、相手の気持ち等の心に関する言葉。
まわりの様子、特に、自然の動きについて感動したときの言葉は貧しい感じがします。
つまり、生活そのものが偏っているのです。」(以上 先生のお話)


昔は子どもと大人の文化の境目がありました。
今は、雑誌、テレビ、服装においても、両者の境目はなくなりました。
だから、子どもたちの言葉は大人社会、テレビに大きく影響されています。
刺激的な言葉、大げさな言い方が多いですね。


私は、子どもたちの語彙は多いとは思いません。
特に、自分を語る言葉がありません。
「楽しい」「おもしろかった」「いやだった」「うれしかった」ぐらいです。
反省させると、自分を豊かに語ることができないです。


国語の授業を通して、一つの事象、心境をいろいろな言葉で表現できるように指導する必要があります。
自分の外の世界ばかりに目がいっている現代人の影響を受けています。
自分の内側の世界を眺めることがないです。
自分の心深く見つめて、そこから湧き上がってくる言葉に乏しいです。


自然に対する言葉はほとんどないです。
日々変化する季節のうつろいを感じ取ることができません。
子どもたちにとっては、言葉はメール言葉になっています。
伝達言葉になりがちです。
自分の用件だけを伝える言葉です。
言葉かけを通して、相手の気持ちを理解しようとする試みはありません。


語彙力は、言葉の言い換えです。
語彙力は、自分の内面を探る力でもあります。
表現を通して、感受する心も育てなければなりません。
送信機は備えているが、受信機は貧弱です。

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