教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1028回 国語教材「やまなし」独り言 その3

「そのときです。にわかに天井に白いあわが立って、青光りのまるでぎらぎらする鉄砲だまのようなものが、いきなりとびこんできました。」


課題
そのときどんなことがおこったのですか。
かには何をみたのですか。


あくまでかにがとらえた世界です。
「そのとき」一瞬です。
「いきなり」は思いもかけない瞬間です。
「飛び込んで」とは、谷川のなかに侵入。
この三つの言葉が緊張感と不気味さを誘います。


「そのとき」の前を振り返ると、
「そのかげは、黒く静かに底の光のあみをすべりました」
静かな谷川の底。明るい光に魚の黒いかげがすべります。
魚のかげと光のあみのコントラスト。
どことなく不気味な感じさえします。
そのような景色をひっくり返す「そのとき」です。


課題
どんなことがこわかったのでしょうか。
その前にこわかったことがどこでわかりますか。


「二ひきはまるで声もでず、居すくまってしまいました。」
この文章がこの場面の核になります。
「居すくまる」の「すくむ」は、緊張のあまり体が動かなくなることです。そして、体は小さくなります。
かにの恐怖がよく表れています。
さらに「まるで声もでず」が加わります。
驚きの声がでなかった、出る間がなかったのです。


そこから、どんなことが怖かったのかを探ります。
 「コンパスのような黒くとがっている
魚の白い腹がぎらっと光って一ぺんひるがえり」
ひるがえった魚の腹がそのまま上のほうへ上ったのです。


「それっきり」見えなくなった。
魚の残骸も何も残っていないです。 


さらに、その後の
「光のあみはゆらゆらゆれ、あわはつぶつぶ流れました」
何事もなかったかのような景色。
確かにあった恐ろしいことがあったはずなのに何事もなかったかのような明るさと静けさ。


弱肉強食の世界。命あるものは消えていく世界。
それらがいつ起こるかわからない世界。


谷川の底でおこる無常の世界です。

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