教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1026回 「やまなし」独り言 その2

やまなしという作品は
ある時は暗く ある時は急に明るく
ある時ははげしく ある時はゆるやかに
明るさの中に暗さがあり 暗さの中に一点の光があります。


この場面は明るい いや暗いよ どちらでもないよ
明るいけどどこか明るい  暗いけどどこか明るい
子どもたちの感想に寄り添っていきます。


「つうと銀の色の腹をひるがえして、いっぴきの魚が頭の上を過ぎていきました」
この教材は語彙力を鍛えることも一つの指導目標にします。
「つうと」は「物事が音も立てずに滑らかに進んでいく様子」
この言葉を押さえることで、魚の行動が静かに進行していることがわかります。


さらに「ひるがえして」という言葉。
急に向きを変えて反対の方向に向かうことですね。
銀色の腹が不気味に光ったのでしょうか。
あたりは静かです。
静けさのなかの不気味さ。不気味さのなかの静けさ。


そのあとに
「クラムボンは死んだよ」「…殺されたよ」「死んでしまったよ」
ここでもまざまざと見えるもの、見えないもの。
見えるけど、何かわからないもの。
様子はわかるが正体がつかめないもの。


さらに
「兄さんのかには、その右側の四本の足の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら言いました」少し漫画チックですね。
殺されたよと言いながら、兄さんのかにの動作はどうでしょうか。
こわいはずなのに、どこか滑稽です。
不気味なのに、どこかおかしい。


「にわかにぱっと明るくなり日光の黄金は、夢のように水の中にふってきました。」
絵に描かせてみるのもいですね。
前の場面は「殺された」という言葉が場面を暗くしていました。


そこに「にわかに」「ぱっと」「明るくなり」とたたみかけてきます。
「夢のように」「降ってきました」
この五つの言葉をしっかりと叩いていくと、場面が点から面、空間へと広がるようです。


さらに、美しい谷川の底の描写があります。
子どもにとっては難しいところもありますが、感じるがままに発表しあって友だちとすりあわせていくことが楽しいのでは。


一つ一つの言葉から離れることなく、その言葉から想像できる景色を友だちと一緒に広げていきます。
お互いの感じ方、捉え方の違いがくっきりと浮かび上がる授業になるかも。


「波から来る光のあみ」とは何か。
「まっすぐなかげの棒」とは何か。
その言葉の周りの言葉から想像していきます。


場面は静かなのですが、目まぐるしく動いています。
「魚が」「黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにして」
「まるっきり」とは、くちゃくちゃの状態をさらに強めています。
「くちゃくちゃ」という言葉は面白いです。
「子どもが顔をくちゃくちゃにして泣いていた」


さらに、場面は動きます。
「おまけに」と付け加えが始まります。
魚が「鉄色に変に底光りして」
「変に」は「奇妙に」という意味があります。
魚のどこが奇妙なのでしょうか。


これは、私の教材を授業化する前の段階です。
ひたすら自分だけの読みを求めます。
私が感じたことや子どもの感じ方を思いながら読んでいます。
内容は、国語のえらい先生にとっては稚拙ですが、あくまで私の独り言ですので聞き流してください。
この時間がたのしいのですね。
教材はじかに楽しむことです。

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