教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1015回  運動会の結果が 学習意欲につながる

運動会の練習が始まっています。
ある学校では、運動会のあとに音楽会も予定されています。
運動会の世話係も音楽会の指導の先生もどちらも熱心であるとのことです。
運動会の練習が始まったばかりなのに、少しずつ音楽会の練習がなされています。
あるとき、職員室で二人の先生が愚痴を言われたそうです。
二つの行事の練習は、時間的にもしんどいとのことでした。
音楽の先生は、運動会は来年から春にしてくださいと提案されました。


私は、この話を現場の先生から直接伺いました。
その先生に尋ねました。
「子どもたちは練習が増えていることについてどう思っているのですか。先生がしんどいというのは後のことですね。行事の主体は子どもです。」


運動会の演技内容も簡略化傾向にあるようです。
その理由は、子どもたちが大変だからとか、指導に時間がかかるからという理由です。
本当に子どもを育てる立場にたっているのかと疑問に思います。
すべては先生の一面的な考え方で行事の練習が進行しています。


運動会では、どうしても演技の結果を求めがちです。
そのために、焦って演技指導をしてしまいがちです。
子どもに強制的に押し付けることもあるでしょう。


運動会、運動会と責め立てて、終了と同時に学習、学習と責めたてていることがありますね。
このことが子どもたちの学習意欲を低下させています。
第二期の不登校が始まることがあります。(一期は6月)
この時期、先生の教科指導力とその意欲も低下しています。
運動会の練習のあとの教科指導、授業はいい加減に済ませてしまうこともあるはずです。
しかし、熱心な先生は逆に学習指導に手を抜きません。


学習指導で培った意欲と運動会に向けて練習する意欲が同じだからです。


学校によっては、運動会終了をもって学習の校内研究会や対外研究会の予定が詰まっているところがあります。
さらに、子どもを責め立てて結果を出そうとしています。
運動会に毎日追われて教科指導が遅れるます。
それをなんとか取り戻そうと焦ります


運動会、音楽会は、子どもの意欲増進、学級づくりの向上に利用する事がないのであれば意義はありません。


見てもらう運動会から脱皮すべきです。
子ども自身の運動会にするために、内容の充実を目指す必要があります。
子ども集団が力を合わせてやり遂げた時の興奮と感激がなくてはなりません。
その結果が学習意欲、学級づくりにつながっていきます。


運動会が終わったときの子どもの声。
「やれやれやっと勉強がてきる」
「これで二学期が済んだようなものだ。後は冬休みだよ」
このような子どもたちを育ててはいけません。
学校行事も自分たちの成長に欠かせない時間であるという気持ちを持てるように指導したいものです。


9月は、夏休みから二学期への学校生活
学習指導の無理のない切り替え
学習指導から運動会へ
運動会から学習指導への切り替え
これらがポイントになります。

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