教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1012回 小学5年国語「たずねびと」③場面全体を読み取れる言葉

平和祈念資料館から追悼平和記念館へ
場面を子どもたちに読み取らせるために、発問でひっぱらないようにします。
場面には、場面全体を読み取れる言葉、文があります。


綾は平和記念資料館を見学することで、大きなショックを受けます。
展示されているものすべてが信じられないことばかりだからです。
そこで、次の文章から子どもたちに問題を投げかけます。


「資料館を半分も見て回らないうちに、私は頭がくらくらしてきた。
 何もかも信じられないことばかりだった」
「半分も見て回らないうちに」頭がくらくらしてきた綾が見たものは、本当に衝撃的なものであったのだろう。


問題
資料館のどんなことが信じられないことだったのか。
展示物 説明板


見学したあとの気持ちは
うちのめされるような気持ち」なのです。
激しい精神的な苦痛を受けます。
「うち・・・」とは「打つ」打たれることです。



追悼平和祈念館
問題提起 ここで綾が出会った衝撃的なことは何か。
      モニターからとぎれなく現れ続ける顔
     どうして気がとおくなりそうだったのか。
       でも、どうしても目がはなせなかったのか

 死んだ人たちの顔がとぎれなく現れ続けたら、嫌悪感、悲壮感が胸いっぱいに広がるはずである。
その場から立ち去りたいと思うのが当たり前である。
ところが、綾の気持ちに変化があった。
それまでの自分の気持ちを打ち消すかのように「でも」と自分を切りかえる。
「どうしても目がはなせなかった」時の綾の心情を考えなければならない。


どんなに悲惨な事実であっても、逃げないで自分の目で確かめようとする綾。
一人の少女が平和を脅かした戦争に立ち向かっている。


さて、ここまでは、綾が見たものを通して、綾の心情が変化しているのがわかります。
子どもたちは、このあたりで疑問を持つことでしょう。
辛い思いをしてまで資料館を見なくてもいいのにと。
子どもたちの中には、「私なら帰っているよ」という意見もあるでしょう。
この場面の綾の姿は、子どもたちの考えが分かれるところであり、話し合いの場面でもあります。
            次回に続く

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