教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想993回 一学期実践(7) 子供が自力で克服、修復できるために

2の段階
一人ひとりの子どもの心をひきつける


「学習を含む学校生活のなかでグダグダ注意を乱発しない。」


どんなことがグダグダになるのか。
どこまでがグダグダ注意になるのか。
これはとてもあいまいです。
それでも、内容と程度によっては必要な時がありますね。


用具の使用法
筆箱の中身についての注意。
ペンや消しゴム、定規など 実用上で使いにくいものに対する注意。
掃除用具の使い方
目に余るはき方、使い方をしている時の注意。


「だらしがないわねえ」と服装の着方にクレーム。
だらしがないという感覚は、子どもによって異なることが多い。
美的感覚の違いによる注意。


作業や学習中のおしゃべり
作業中のおしゃべりをどこまで認めるか難しい。
おしゃべりすることがその子の作業上のBGMになっていることがある。


学習中のおしゃべり。
頭の中で言葉を発せられない子どもが独り言のようにつぶやくことがある。
つぶやきがその子の思考である。


聞き方に対する注意。
「どこを見ているの」
「相手の顔を見て聞きなさい」
「手を動かさないで聞きなさい」
「姿勢を正して聞きなさい」
決して注意していることは間違いではない。
しかし、その子にとっての聞き方の癖である場合もある。


話し方に対する注意。
 大きな声で はっきりと ゆっくりと 相手の顔を見て・・・
この類の注意は多い。
しかし、今のその子の状態をゆっくりと変容させていくことが望まれる。
いきなり「大きな声で」と高い目標を指示しても子どもは戸惑う。
一人ひとりの今の状態が違う場合、その子のペースに応じて指導。
急ぎすぎると、おとなしい子供は話すことが億劫になる。


文字の書き方に対する注意も多い。
美しく書くよりも、まず、ていねいに書くように指導。
書く傍らで、逐一注意されると書くことがいやになる子がいる。
ノートの使い方、机の中の整理、歩き方まできりがない。



ここまで取るに足らない例をあげてきたのは、グダグダ注意が子どもたちの学習意欲、生活意欲を損なうからです。
子どもにとって、すでにわかっている自分のマイナス点を、あえて言葉にされると反発すらするようになります。


子どもが注意されて「あっ、そんなことに気付かなかった」と思える場合はいいです。
一度の注意だけでいいです。
一度でだめだからといって、繰り返し言葉を乱発してグタグタへと向かわれる先生もいます。


大切なことは、必ずしもグタグタ注意がいけないのではありません。
ある子は、先生にグダグダと言ってもらえることがうれしい子もいました。
家庭生活において、ほとんど放任されている子でした。
逆に、グタグタに敏感に反応する子は、家庭において母親の過干渉に悩んでいる子でした。


注意、指摘においては「ひと言、言い過ぎた」「ひと言、言い足りなかった」のどちらであったかを先生が自省します。


注意はあくまで「他力」です。
自分の力で「自力」で修復、克服できないかを考えます。
教育は、子どもの力で自分の人生を切り開けられるようにすることです。


グタグタ注意が過剰になると学級崩壊になる実際を見たことがあります。
ベテランの先生に多いパターンです。
優秀な先生は、自分も努力されて学んできたので、子どもたちも同じようにできると思われています。
「どうしてこんな簡単なことができないのでしょうか」
「どうしてもっと努力しようとしないのでしょうか」
「やればできるでしょう」
子どもは、先生から、はるか遠くに飛んでいきます。

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