教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 991回 一学期実践(5) 子どもからの話 どこでも聞く

今回から2の段階入ります。
2の段階
一人ひとりの子どもの心をひきつける


1番目のこと
子どもからの話 どのような場合でもその場面で聞く


子どもが先生に対して話しかけるのと、子どもが先生に話しかけるのとでは大きく違います。
先生は何気なく話せても、子どもは緊張感を伴います。
まして、学習に関する質問をするときは、子どもが勇気を出しているときです。


子どもが学習についての疑問を持ってきたときは、廊下であっても立ち止まって耳を傾けます。
職員室に戻る用事があったとしても、立ち止まります。
実は、この先生の行動には、子どもたちへの重要なメッセージがあります。


「どんな時でも先生はあなたの疑問、質問に対応しますよ」(先生はあなたの味方)
の行動があってこそ、授業のなかで発する言葉「わからなかったらいつでも聞いてくださいね」という言葉に真実性が帯びます。


さらに、教室であれ廊下であれ、他の子どもたちが先生と友だちの様子を見ていることです。
友だちが質問に行ったけど、先生はどのように対応するかを何気なく見ています。
それによって、「自分も尋ねてみよう」という気持ちが生じます。


学習以外のことで話しかけられても「あとでね」「給食の時にね」ではだめです。
先生にとって「後で」のこともその子にとっては「今、その時の今」なんです。
後になると、もう一度話しかけてくることは少なくなりますね。


子どもが話しかけてくる時
低学年の子に対しては、膝をおとして目線を低くします。
これだけで安心します。
高学年の子の場合も、座るところがあれば「そこに座って話を聞いてもいいかな」と場所を変えるのもいです。
座ることで先生の子どもを受け止める真心が伝わります。


このようなことがどうでもいいと言われる先生もいます。
しかし、子どもたちは繊細です。
少しでも先生と話がしたいのです。
学習のことで廊下で先生が話を聞いてくれたことを、帰宅して保護者にうれしそうに話していたことを懇談会でよく耳にしました。


先生と子どもが人間として対等に接することを、私自身の自身の修行としてきました。
先生と子どもは出会いにおいて、すでに、先生は大人であり権力者です。
そのことをいつも心の中にとどめてきました。

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