教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 985回 記号として言葉 心をのせる言葉

今年も教員試験の指導をさせていただきました。
そこで、最も強く感じたことは、言葉の問題です。
言葉に深みがなく、メールをうつように記号化しているように感じました。
言葉の裏にある感情、思想が見えてこないのです。


日常生活において、言葉は重要なアイテムです。
少なくとも作業・伝言などの要件を伝えるためには有効です。
言葉は手段であって目的ではありません。
要件を伝えたり指図をしたりする場合において有効です。
しかし、気持ち、心の奥にあるものを伝えるには限界があります。


言葉は心の湖を掬い取るひしゃくのようなものです。
気持ちの湖、すべての水を代表しているわけではありません。
気持ちを言葉に乗せて表現しようとすると、言葉からもれ落ちる気持ちの方が多いです。
言葉はじれったく、もどかしいものです。
いや、ほとんど表現できていないですね。


「ありがとう」というお礼の言葉。
その言葉が口から発せられた時、相手も私もお礼を伝えていることはわかります。
記号としてわかるという程度です。


人同士をつなげる言葉としては重宝する言葉です。
メールにおける文字言語は、合理的な記号ですがすでに限界があります。
それに比べて、音声言語は、その表現の仕方において、お互いの気持ちの微妙なニュアンスは伝えることができます。
声量、声の高低 抑揚 速さ・・など。
だから、生身の人間のコミュニケーションが大切です。


「ありがとう」という言葉は感謝のすべてを伝えきれていないです。
むしろ、その言葉を発することで簡単に済ませてしまえる省エネ言葉です。


ありがとう、ごめんなさいは その代表。
言葉さえ使っておけばいいです。


言葉に添えて、まなざし・表情・身体表現によってより豊かに相手に伝えることができます。
しかし、メールの時代はそのことが難しくなっています。
対面することなく伝え合う場面が多いです。
言葉は記号化してしまっています。
顔文字を使ってもそれは既製品の顔にすぎません。


文字表現の「ありがとう」では伝わるものはほんの少しです。
胸が熱くなりました、ありがとう。
胸の高まりを覚えました、ありがとう。
ありがとう、本当にありがとう。
ありがとう、とてもうれしいです。
言葉を添える、気持ちを添えることが必要です。
しかし、それでも言い尽くせない言葉。


ありがとうを言いなさいと子どもに対する親の指示。
そうして育てられた言葉は、すでに死んでいます。
挨拶運動の「おはようございます」もしかりです。


ありがとう、おはよう、ごめんなさい・・・
日常生活において、人と人の間の潤滑油のような言葉です。
だからこそ、子どもたちには、その言葉の奥にある気持ちを考えさせたいです。
「あやまればいいんでしょ、ごめんなさい」というむなしい言葉。
「一応、お礼を言っとくね、ありがとう」
目も合わせようとしないで発する「おはよう」という挨拶言葉。


子どもに言葉の役割を考えさせたいものです。

×

非ログインユーザーとして返信する