教育随想 983回 企業が期待する人間像と 指示待ちの子供
企業が期待する人間像
あるトップ企業の重役の談話より・・・・・これも10年以上も前の話
これからは頭がいいだけでは困るんです。
というよりは、頭のいいことの弊害のほうがめだつのです。
つまり、秀才というのは試験の成績のいい人間です。
これは、言い換えると、答えのわかっている問題を上手に解く能力があるということです。(中略)
これまでの企業は、何をなすべきかについて、ある程度先がみえていました。
だから秀才タイプでも十分やれたんです。
しかし、今では事情がまるで変わりました。
何をなすべきかを自分で考え、その答えを創り出さなければならないのです。
秀才というのは、たいてい万点主義です。
自分にわからない問題はないと思いがちです。
しかし、自分で問題を創るとなると、試行錯誤の繰り返しです。
最初から答えがわからないのです。
確かに頭が悪くては問題になりませんが、試験の成績より、
試行錯誤のプレッシャーにつぶされない気概が、これからの人材には優先すると思います。・・・・・以上
かつての時代において、偏差値だけが高い秀才タイプの人間であっても指示待ち人間では企業にとって必要ないでとのことです。
これからは、新しいものに挑戦するやる気人間を求めています。
勉強しか知らない人間は困りものたという意見が多くでたそうです。
当時の文科省はそういう世論に抗しきれなかったようです。
理解重点から意欲関心への学校教育の観点の変更をはかりました。
指示待ち人間ではなく主体的に学ぶ子供、生徒を育てるという方針をだしました。
この資料は随分古いものですが、今の学校教育において、教育目標の文言が変わっても実態は大きく変わっていないように思えます。
指示待ちの子どもではなく、主体的に活動できる子どもを育てるには
先生の指示をやめてみたらいいのです。
一時的にやめてみて子どもたちの様子を観察すればいいです。
子どもたちが先生に求めて来た時のみアドバイスをすればいいです。
その結果どうなるか、先生は体験的に把握します。
実践とは試行錯誤の繰り返しです。
試行錯誤は成功と失敗を繰り返します。
初めから挫折なしの教育計画をたてると子どもの実際の姿から離れてしまうことがあります。