教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 981回 「居残り勉強」(残して)から「残り勉強」(主体的)へ

ある作家の少年時代のことがのっていました。
その方は、通産省の高級官僚だったそうです。
その方の小学校時代のお話がのっていました。


「学校の先生は不得手な科目ばかりを教えて、私の好きな科目はあまり教えてくれませんでした。不得手な科目は当然嫌いな科目で、その時間が増えて好きな時間が減るという残酷な話はないですね。嫌いな時間を短くしたいと思うのが人間の本性でしょう。」


さらに、そのお話は具体的に続いています。


「かりに体育が上手で算数の苦手な子は、補習があって算数の時間が余計に長くなります。心理的には、お前はバカだ
子どもは反発する言葉を知らないから何も言わないでしょうけど、人の欠点を突っつき出すということは、意地の悪い嫁姑の問題みたいに大人がやられたらたまったものではありません。
しかし、それがいいことだと信じているのが今の教育です。」


このお話は、十年前のお話です。
今の教育にあてはまるかどうかはわかりません。
ただ、私も含めて、その子に個別指導、補習と称して指導していたことはあります。


子どものできないところを埋めていく、補っていく指導をします。
これはこれで必要なこともあるでしょう。
しかし、子どもにとっては、他の子に比べて別室や放課後に指導されるのは、恥ずかしかったのではないでしょうか。
先生が教えてあげるというのに、「必要ありません」と断る勇気はないでしょう。


ちなみに、私は、以上のことから、放課後に残して勉強させることはほとんどしなくなりました。
ただし、子どもたちが自分の意志でもう少し教えてほしい、もっとよくできるようになりたいと申し出があったときは、放課後の勉強を実施していました。


それは「居残り勉強」ではなく「残り勉強」という名前をつけていました。
ただし、勉強時間は長くても20分以内です。
授業以外の勉強時間はできるだけ短くすることで相談が増えてきます。

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