教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 976回 授業 児童と教材のお見合い 児童理解

現場の先生と授業についてお話すると、あることに気づきます。
質問の多くは「どうしたらいいか」という方法論が多いです。
先生に質問します。
「この国語の教材、何回読まれましたか」
最低、一週間前から毎日読む。
読むたびに、教材に対する新しい認識が生まれる。
読むたびに、以前の理解と異なってくることがある。
教科書に何回も目を通すことが教材研究の基本であり授業の源です。


この教材を子どもの前に持ってくる意義は何か。
どのようなメリットがあるのか。
この教材は、子どもたちをどのように変容させるのか。
ここに教材研究の意味があります。


教材と目の前の現実の子どもたちとを向かい合わせます。
子どもと教科書とのお見合いです。
教材に対する児童理解です。


子どもたちは、この教材に
どのような印象をもつか。
興味関心はどの程度か。上限と下限。
教材のどこが気に入っているか、嫌がっているか。
子どもは教材のどこに心を動かしているか。


次に、教材を学ばせる前の子どもたちの学習経験と能力。
いわゆる児童理解、子ども理解である。
たとえば、音読だけをとりあげても、この学級の子どもたちは、どの程度の音読ができるのか。
言葉を捉えることがない子は。
漢字に抵抗があって読みづらい子は。
言葉はすらすら読めているが意味理解をしていない子は。
登場人物の気持ちの変化を読み取って音読できる子は。
情景描写と人物の心情変化をつなげて読める子は。


具体的に子どもの名前を浮かべるようにします。
最初は一部の子でいいです。(少しずつ増やす)


子どもたち一人ひとりの学力の実態図である。
漢字、作文力も聞く力、話す力も分析しておく。
子どもと知り合って3か月という時間がたっているのだから。


さらに、この上に子ども一人ひとりの性格、今まで学習歴や人生まで。
詳しくは無理でしょう。
しかし、それを追い求める姿勢こそが児童理解です。(結果ではない)
児童理解は、子どもに対する愛情です。
機会の操作を理解するのとはぢがいます。
生身の人間は、正体不明の部分のほうが多いですね。
先生も正体不明な自分をかかえているのです。

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