教育随想 975回 授業 想定外のことが子供たちからの贈り物
授業は子どもと先生との協同的な営みである。
同じ目標をもちながら、子どもたちと切磋琢磨していく物語である。
指導者が一方的に、自分の都合で子どもを引き回すことではない。
指導者は、自分の到達目標とそれに至る道筋を持っている。
その目標にたどりつくように子どもを導いていく。
子どもたちの意見を切り捨てながら誘導しながら自分の世界に導く。
「そのとおりだね」「いいところに気づいたね」
「それは少し違うかな」「その考えは 今はおいておこう」
子どもたちの考えを取捨選択しながら指導者の望む結論に導く。
先生は
「今日は指導案どおりいきました。よかったです。成功です」と。
指導案通りということは、子どもの勢いを抑制したということ。
「今日の授業は、予定したことからずれてしまいました」
予定からずれたのは、子どもが自分の学びをだしてきたから。
とても喜ばしいことですね。
指導者が深く研究した結果、授業がスムーズに進むことはある。
しかし、100%ではない。
予定通りにならなかった数%が、子どもたちからの贈り物である。
その思い通りにならなかった理由を研究する。
その贈り物が授業者としての技量を高める。
私は生涯において、授業がうまくいったという気持ちは一つもない。
子どもたちの学びに圧倒され、翻弄されることも度々。
だから楽しい。
授業は人間の営みである。
それをやがてAIに代行させようとする試みがある。
その時に失うものが何かを今から考えるべきではないか。
働き方改革で先生が楽をするためのAIなのか。
AIが先生の仕事を奪う可能性があるかもしれないのに。