教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 93回  話し合いはペアから 日常生活の会話に近づける

自由に話し合いができるようにする技術的なものは難しいですが、まずは、授業の中での話し合いを日常生活の中での話し合いに近づけることから始めます。
話し方指導として、基本話型をもって指導することがあります。
低学年や最初の段階で、その方法を使うことはあります。
しかし、それでは、柔軟に子どもたちの思考は広がりません。


私は「雑談の時間」という場をつくりました。
 子どもたちの考えを自由に思いつくまま話せる時間をつくるのです。
 二人で、班で、そして、全体で。
いわゆる遊び時間に子供たちが自由に話せるような場です。
大人の雑談と同じです。
話し方よりも話す内容に重点を置きます。
その時に問題にするのは、
〇どんなことが話題になったのか。
〇どんなことがわかったのか。
〇どんなことがわからなかったのか。
〇どんなことが食い違ったのか。等


低学年でも活用できますが、ペアを基本とします。
簡単に全体で話し合いや発表に持こむと、話すことの苦手な子どもたちは遠ざかってしまいます。
先生が自分の授業を進行させることだけが目的なら、子どもたちは先生の都合で将棋の駒になっているとは言えないでしょうか。
「そうですねえ」「よくわかったね」「いいことを言いましたね」「その意見を待っていたよ」など、先生の意図にひっかかった子どもだけが取り上げられることになります。もちろん、多くの先生は、そのようなことはないと思いますが・・・。


ペアの話し合い活動に戻します。
話し手と聞き手が入れ替わり、お互いを理解しあいます。
話し合いは理解です。
そこから生じる誤解をこえて、歩み寄る営みです。


よく話す子どものほうが一方的な話し手にならないようにします。
そして、二人でどのような話し合いになったかをたえず全体で検証します。
課題に対する答えを考え合っているとすれば
二人で分かったことはどんなことかな。
二人で意見が違ったことはないかな。
などを質問します。


ペアの話し合いのとき、できれば体や顔を向かい合わせて話し合うことができたらいいですね。
眼差しの共有です。
相手の話の内容を耳だけでなく、目からも取り込めるようにします。


ペアの話し合いに習熟してきたら、全体や班の話し合いに移行します。
それまでは、指名、挙手、ペアを中心に授業を進めます。


次回に続きます。

×

非ログインユーザーとして返信する