教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 748回 「読めばわかるのに」無駄な情報伝達

子どもたちに明日の連絡をするとき、口頭で伝えることが多い。
あるいは、学習予定(時間割など)の連絡の時、書いてあるのにさらに口頭で伝えることも多い。


子どもたちによって、耳から情報を入れる子と目から入れる子がいる。
先生が黒板に書いても、どうせ先生かぜ説明してくれると安心して文字で表現された内容を読まない子もいる。


文字情報を理解できない子は、長文読解も難しい。
そこで、誰の援助もなしに自分で文字情報を理解できる子を育てる。


今日、明日の予定は、小黒板に書いておく
質問がない限り、先生は沈黙。
予定の変更も黒板に文字のみで伝達。
質問があれば受ける。
質問できる子は文字情報をより深く理解しようとしている。
逆に、理解せずに即質問する子がいる。


朝の会や終わり会の先生からの連絡は、一切、口頭で伝えない
まず、一週間継続して子どもたちの様子を観察する。
もし、先生のほうで、
訓話したいことがあれば、簡潔に文章にして掲示する。


さらに、読んで理解しないと自分が困るような場面を文字のみで伝達。
校外学習の持ち物や行程について実施すると子どもたちは必死に読む。
子どもたちが質問しても、読めばわかることについては答えない。


体育の授業
事前に黒板に学びの過程を書いておく。
用具の準備、重合場所、準備運動のポイント、ゲームや練習の進め方等。


学ばせることは厳しさを伴う。
理解することは多少の苦痛を伴う。
学びや理解は、常に、主体的なものであって受け身的なものではないという自覚を持たせる。


職員会の提案で、プリントに書いてあること、そのままを話される先生がいる。
何のためのプリントなのか。
プリントの情報に加えて、口頭で付け加えるようにする。
先生の情報を伝える活動には、無駄なものが多い。
読めばわかるのに・・・。
読んでもわからないことのみ付け加える。

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