教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 663回 話し合い活動の活発化 リーダ―中心の段階

先生の発問に対して答えるのは、一部の能力の恵まれている子どもです。
それらの子どもたちによって、多くの授業が展開されています。
挙手した子どもを指名して発言させることが多いです。
できる子どもたちをつなげて、本時目標を達成します。
指導者の言いたいことを発言してくれる子どもによって展開されます。
親衛隊による授業展開です。


授業者の意図はすべての、子どもたちに学びの意欲を与えることです。
それぞれ能力は違っても、子どもの学習意欲は平等に膨らませることが大切です。
挙手している子を指名するとき、その横の手をあげていない子どもが気にならないのでしょうか。
わからなくて挙手しないのか、わかっていても挙手しないのか気になりますね。


私は、挙手発言を極力しないようにしました。
挙手させるのは、子どもたちの理解度を確かめる時です。
挙手人数が少なければ、手を下ろさせて授業を少し前に戻します。


挙手する子ども以外の多くは、常に、授業中、聞き手にまわる子どもたちです。
ドラマの映像を視聴するかのように、発言している子どもたちを眺めています。
「わたしが言わなくても友だちが進めてくれる」という気持ちの子もいます。


最初の時期において、理解事項一つひとつにわからなかったことを言わせます。
わからない子を立たせて、理解度を確認します。
根強くわからないことに対して、反応させるようにします。


初期においての留意点は二つです。
一つ目は「わかりましたか」「はーい」「わかりましたね」「はーい」
これは撤廃すべきです。
子どもの理解度を言葉で求めません。
表情や振る舞いからさぐるのです。
「わかりましたか」と尋ねて「わかりませーん」と言えるでしょうか。


二つ目は、先生が子どもに完全解答を求めないことです。
先生が完全解答を求めると、自信のない子どもたちは表面に出られなくなります。
たとえまちがっても、不完全な解答であっても、最後まで丁寧に聞いてあげる寛容さが必要です。
挙手ではなく、一人ひとり指名して聞いてあげることです。
とても根気のいる指導ですが、必ず効果が表れます。


さて、話し合いの形式は、できる子どもによって進めます。
リーダー的な子どもによって、発表を続けさせます。
他の子どもたちには、話し合いの進め方の実際例を見せます。
そして、少しずつ、その中に傍観している子どもを参加させるようにします。


次回に続く

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