教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  661回  子どもを育てる 待つこと

待つことの意味
二人で歩きます。
どうしても自分のペースで歩いています。
相手は遅れます。
それを待ちます。
一緒に歩けるように、からだであなたを感じながら歩きます。
待ちながら歩きます。
待つということは、相手の歩調に合わせることです。


待ち合わせの時
あなたが定刻よりも来るのが遅れている時。
早くくればいいといらだつ。
これだったら、私もゆっくりくればよかったのにと後悔する事も。
しかし、待つということは、相手の事情にあわせること。
途中で何かがあったのかも知れない。
そのように考えてあなたの事情にあわせます。


子どもに質問
課題を提示します。
そして、子どもたちが思考を巡らすことを待ちます。
遅いと待てなくなります。
つい、助言を入れて支えようとします。
それは、子どものことを思ってのことではないです。
自分のいらだちからくる焦りからです。
助言やヒントと称して、自分の待つ苦しみを緩和するにすぎないのです。


植物の発芽、成長を待つ
種を一つ一つていねいに土に蒔いていく。
早く芽がでないかと心を寄せる。
しかし、一向に発芽しない。
いらいらすることもある。
でも、どうして発芽しないか、頭を巡らしながら待つこと。
待つとは、いつも自分が主体ではありません。
待つとは、植物のあり方に心を寄せて無心で待つことですね。


待つことは待てないことを前提としています。
自分以外のことに気配りすることを否定しています。


待つことは、自分の想い通りにならない。
自分の意図とは反する。
待つことは、自分の時間が止まる。
待つことは、心もからだも静止する。
待つことは相手のことを気遣う。


自分中心の私にとっては、待つことは難しいです。
相手の話を最後まで聞かないで、話を折って自分の主張を入れることがあります。
最後まで聞くことは、やはり難しいです。


教育の場、教えて待ちます。
待ってみて、また、教えます。
どのくらいの時間待てるのでしょうか。
どのようにして待つのでしょうか。


「待つ」ことを教育の真ん中におく努力をしてきたのですが・・・。

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