教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 643回  フィードバック発問・三者択一的発問

子どもの学び、特に、話し合いをさせていると主題からそれることがあります。
子どもたちが自分の思いを友だちにぶつけ合うと話題がそれることがあります。
話し合い学習に熱が入ると、その傾向が強いです。
それを微笑みをもって見守るのが楽しいです。


指導者の思いとは、違った方向に学びが進むのは大歓迎です。
指導者の枠組みのなかでしか学べないのは寂しいですね。


しかし、子どもの話し合いが同じところをまわりはじめたら修正します。
わからない子どもたちが出てくるからです。
今、何を勉強しているかわからなくなる子どもたちがいます。


そこで、次のようなことをします。
「今日の学習のめあては何だったかな。」
原点に立ち返らせます。
教科書の内容からそれたときには、
「教科書にはどのように書いてあるかな、読み直してごらん」
「今、みんなが話し合っていることは、めあてに近づいているかな。」
「どこからわからなくなったのかな、班で整理しよう。」


三者択一的発問
二者択一では、クイズの要素が強すぎます。
三つ以上のものから選択させます。
子どもたちの理解の程度を評価してみます。
三つ以上になると迷います。


最初に、選択する答えを与えることで、子どもたちの考えが焦点化します。


発問や助言をするとき、もっとも大切なことは、子どもたちを「待つ」ことです。
時間をかけて待ちます。
大概の場合、先生のほうが待てません。


先生は、子どもたちの学びがそれることを嫌がります。
私は、学びが子どもたちの意欲によってそれることを楽しみます。
そのうちに、子どもたち自身で気づくからです。
「あれ、みんな、それてない?」と子どもの言葉。
この発言を待ちたいからです。


学びは「気づく」ことでもあります。
そして、「待つ」とは、「相手に合わせる」「相手につきあう」ことだと考えます。
待つことで、子どもたちとつきあっていきます。

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