教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 608回 どれだけ 自分の子ども時代を覚えているか

親として、先生として、私たちは、子どもに期待を込めて、いろいろな言葉を投げかけてきました。
「勉強がんばりなさいね」
「うそをついたらだめだよ」
「けんかしてはいけません」など・・・。


それらの言葉を振り返ると、自分ができなかったことが多いです。
勉強を怠け、嘘をつき、けんかもした私が、教壇に立っていました。
勉強や宿題をしない子どもに、激励したり注意したりします。
その一方で、自分の子ども時代は、どうであったのかと振り返ります。
私自身も同じことをしていたなと思うことがあります。
そのように思うことで、目の前の子どもたちの行動理由について理解することができます。


宿題をしてこない子がいます。
算数の計算が苦手な子がいます。
学校で苦手な算数をしたあと、宿題として、家にまでも持ち帰りたいでしょうか。
ある時、苦手な子どもは言います。
つらい宿題の計算を家でするぐらいなら、しないで次の日に先生に叱られるほうがいいと。
その通りですね、学習意欲が増すはずがありません。


私なんか小・中学校時代に親が時々学校に呼び出されていたのを覚えています。
生徒指導上の問題で叱られていました。
規則規則で自由でない学校があまり好きではありませんでした。
先生の言葉と行動に乖離があることが一番気に入らなかったです。


「わからなかったらいつでも相談してよ」と先生のやさしい言葉。
ある時、相談に行くと、「忙しいからあとで」と後回しにされることが多かったです。
先生の説明を聞いてわからないもことも多かったです。
でも、「勉強頑張りなさい」と励ましの言葉だけは上からふってきました。


親、先生に「してはいけない」と言われると危険な所にも出かけたものです。
それが、自分の冒険、抵抗だと思っていました。
ですから、問題児と言われる子とは、なんとなく相性があったものです。
なぜなら、彼の行為よりもその背景にある気持ちを先に理解できたからです。


逆に優秀な先生は、問題になる子どもを理解されませんでした。
大学で主席で卒業された新任の先生が赴任してこられました。
半年もたたないうちに学級崩壊になりました。
その先生いわく
「どうして勉強しないのか私にはわかりません」
その先生は、勉強に励んでこられた子ども時代から今までの人生においては考えられなかったようです。
勉強嫌いな子が中心になって学級を崩していきました。
頭ごなしの注意、叱責は、子どもとの距離をさらにあけることになりました。。

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