教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 554回  むかつく子に 出会って

学級にはさまざまな子どもたちがいます。
さらに、学校全体に至っては、本当に子どものあり方が多様です。
先生は、自分にとってあまり関わりたくない子どもに出会うことがあります。
指導困難な子どもたちもいます。
4月の新しい学級名簿をみて「今年はあたり」と叫んでいる先生もおられました。


しかし、どうなのでしょうか。
先生にとって指導困難な子どもに出会うことは嫌悪すべきことでしょうか。
確かに、つらい日々が続くことがあるのですが・・・。
私の経験から言えば、自己教育力、指導力を高めてくれる最高の出会いでした。


個々の問題になる子ども(本当は問題ではないのかも)を指導する時、それぞれに関わることも大切ですが、その子を取り巻く学級風土を育てることも大切です。
仲間を受け入れるやさしさ、見守るぬくもりを育てることです。
一人ひとりをとりまく環境、雰囲気の変革です。
個への働きかけと集団を育てることの両方を同時進行していきます。


むかつく子


むかつくという言葉は、平安時代の後期にはすでにあった言葉らしいです。
「むねがむかむかする、吐き気がする」という意味で使われていたようです。
気持ちが悪くなるからだの状態を表していました。
これがそのまま感情になって「むかつく」という意味になったということです。
今では、「腹が立つ」「しゃくにさわる」という意味に使われます。


すぐにむかついて怒り出す子どもがいます。
暴力的になる子どもがいます。
椅子を蹴る子どもがいます。
ゴミ箱をける子どももいました。
私は、そのような子どもの席の横にゴミ箱をおきました。
「先生、なんで、ぼくのところにゴミ箱をおくの?」と子どもの質問。
「むかついた時に使いなさい」と伝える私。
ある時は、「先生、むかつくんや」と訴える子ども。
「パンシロンの胃薬をあげようか」と冗談を言います。


私が、このような子どもたちに関わって経験として言います。
あくまで私の経験のなかで気付いたことですので、正しいとはいえませんのであしからず。


まず、どのようにその子を理解するかという点です。
思考がきわめて単純です。
だれにでもムカつくことはあります。
ただ、ふつうは、ムカついてもすぐに冷静になります。
しかし、彼らは、一旦逆上すると抑制がきかなくなります。
けんかしても仲直りをするコミュニケーションが不足しています。
自分のなかで言葉で考えることができません。(内言の貧困さ)


指導として
彼らは負の行動をします。
「やめなさい」「暴力をやめなさい」と行動を否定しません。
子どものそうせざるえない動機を認めてやります。
「がまんできなかったんだね」「とても悔しかったんだね」「うまく言い返すことができなくてつらかったね」「悪口を言われると腹も立つよね」
などの動機、心情を受け入れるようにします。


彼らは、言葉による心情表現が苦手な子が多いです。
先生は、その心情を真っ先に察知する必要があります。


行為を責めるのではなく、その動機を受け入れます。
受け入れるとは、まず、聞き手になって耳を傾けます。
「なるほど、そういうことだったんだね」と共感します。
もちろん、共感できないこともあります。
しかし、
子どもの中にたまってい不満や怒りを出させるようにします。
心を空にしない限り先生言葉も入りません。

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