教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想552回 子どもの負の行動 「いつも指導しています」

子どもが友だちとけんかしてなぐってけがをさせてしまった事件がありました。
担任の先生が教頭先生から知らせを受けました。
この時、その担任の先生から出た言葉。
「私は、いつも暴力をふるうなと何度も指導していました。」


勉強で宿題を毎日してこない子どもがいます。
その先生の言葉。
「いつも口すっぱくなるくらい頑張るように指導しています。」


このような例は多く見られますね。
先生は、自分がどれだけ子どもに骨折っているかを主張します。
できの悪い子どもには、特に強く言われます。
先生は子どもが自分の指導に結果を示さないことに戸惑っています
子どもの行為がうまくいかない時、注目されるようになった時に、先生自身に責任が降りかからないようにという気持ちがあるのではと疑ってしまいます。


子どもたち良いが結果を残すと先生は、内心、自分の指導力だとうぬぼれます。
しかし、子どもたちが悪い結果を示すと、責任を子どもに押し付けることはないでしょうか。
家庭環境が悪い、もともと能力がない、前の学年から続いてる・・・


子どもたちが悪い結果を示したなら、他にいろいろな要因があったとしても、まず、先生は「すまなかった。自分の力が足りなかった」と思うことが指導者の責任です。


子どもたちの負の行動は、指導者の自尊心を傷つけます。
ベテランの先生ほど、その傾向が強いです。
それを隠すかのように、子どもに対して、叱ったり、罰したりします。


私自身もそのような経験があります。
だから、子どものことで、指導のことで、言い訳をする先生を見ると寂しくなります。

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